先日は和歌山県、串本にスキューバ・ダイビングしに行ってきました!ニコニコ

海のコンディションはバッチリで透明度最高!、お魚もいっぱい!うお座

 

中でも感動だったのが、「キンメモドキ」の稚魚の群れが見られたこと。

まるで海の中に湧き上る入道雲のように、無数の魚が群れをなして渦を巻き、変幻自在に姿を変えていく様は圧巻でした!!びっくり

 

その様子の動画をYouTubeにUPしていますので、興味のある方はぜひご覧になってくださいね〜〜〜〜〜ウインク

 

 

 

 

そんなわけで、今回は紀州 串本といえば”枯木灘”!ニヤリ

中上健次の名作「枯木灘」をご紹介します〜〜〜音譜

 

 

 

枯木灘』(かれきなだ)は1977年に出版された日本小説家中上健次による長編小説。「文藝」に1975年から1976年にかけて連載され、河出書房新社より刊行された。芥川龍之介賞受賞作『岬』の続編にあたる。また本作の続編として『地の果て至上の時』が書かれており、三部作を構成する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/枯木灘

 

中上健次の作品の特徴は、とにかく肉感的な言葉の端々から臭い立つ、強烈なイメージの錯綜。

まるで私が先日見てきたキンメモドキの群れのように、狭い”路地”の中で幾多の人々が身を寄せ合って、絡み合い、溶け合い、反発し合いながら大きなうねりを生み出していく。

そのダイナミズムは一個の集合体として意思を持った獣のごとく、”紀州熊野サーガ”と呼ばれる物語の奔流となって”地の果て”へと突き進んでゆく……

 

 

この物語は己の”血”をめぐって葛藤し、闘争し続けた主人公、竹原秋幸の記録…。

 

ずっと憎み続けてきた実父浜村龍造の血を受け継いだ秋幸は、己がその血を忌まわしいものとして呪い続けてきた。

そしてその自らの体に流れる、”蠅の王”龍造の血を否定し打ち消さんと、秋幸は衝動的に復讐を繰り返す。

 

 

私たちは自分の意思で誰の子として生まれるかを選ぶことができません。

どうしたって自分は生みの親の血を(遺伝子を)受け継いでおり、それがどんなに自分の意に沿わないものであろうが、自分を苦しめるものであろうが、その事実を変えることはできません。

 

そのような揺るがしようのない事実が、時に本来自由であるはずのわたしの精神を縛り付け、閉じ込めてしまいます。

親から受け継いだ遺伝子はわたしの肉体と精神を形作り、家庭環境や教育がわたしの人間形成を左右します。

ではそうして出来上がった”わたし”という存在は、一生この生まれながらの足枷を引きずって、十字架を背負って生きていかなければならないものなのでしょうか?

 

 

秋幸はこの”血”という牢獄を内側から打ち破ろうとするかのように、秀雄を石で打ち殺してしまう。

秀雄が秋幸に殺されたと知って、男龍造はどう言うだろう。秋幸は男が怒り狂い、秋幸を産ませ、さと子を孕ませ、秀雄を産ませた自分の性器を断ち切る姿を想像した。有馬の地に建てた遠つ祖浜村孫一の石碑を撃ち壊す。息が苦しかった。蝉が耳をつんざくように鳴った。梢の葉一枚一枚が白い葉裏を見せて震えた。

 秋幸は大地にひれふし、許しを乞うてもよかった。

 日の当たるところに出たかった。日を受け、日に染まり、秋幸は溶ける。樹木になり、石になり、空になる。秋幸は立ったまま草の葉のように震えた。

しかし、秋幸のこの閉塞からの脱出は失敗に終わる。

秋幸の逮捕後、路地の人々は秋幸や龍造に関する噂や憶測を口々に飛び交わし、どれが本当でどれが嘘なのか。秋幸の存在は”路地”という迷路に囚われ、さまよい続ける…。

 

 

”血”と”路地”の桎梏から解放されるすべはどこにあるのだろうか?

 

 

その答えがどこにあるのかはわかりませんが、ただ、秋幸という男が”血”と”路地”に抗い続け、その外側へ抜け出そうともがき続ける姿に、私は言葉にならない、静かな、草の葉が震えるような感情を覚えるのでした。

 

 

ところで「わたしとは何者か」という問いかけと、自分のルーツとの関係性について。

 

先にこのブログで取り上げた高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」

http://ameblo.jp/ungm6074/entry-12295624842.html

の世界では、名前は親から付けてもらうものではなくなっていました。

自分の意思で自由に名前を付けることができ、付けてもらうことができる世の中になっていました。

 

確かに21世紀の現代から振り返れば、「枯木灘」の世界のような血縁や地域のしがらみの方こそがファンタジーのように思われるほど、その関係性はとても希薄なものになってしまいました。

しかし、その傾向は「枯木灘」が執筆された70年代から始まっていたそうです。

当時、次々と家族や村社会が解体され、失われていった急速な変化に人々は危機感を感じており、そうした時代の空気感から、自分探しとして自分の出自、家系、ルーツを辿るのがブームになったりしていたようです。(1977年アメリカのテレビドラマ「ルーツ」の大ヒットが象徴的)

 

しかしそんなブームはさて置いて、時代はどんなに変わろうとも、親と子との相克と「わたしとは何者か」という命題(実存)をめぐる葛藤は今なお、そしてこれからも、私たちの前に立ちはだかり続けます。

 

わたしがわたしらしく生きるために。

それを求めて、もがき続けるのが生きるってことなのかなぁ…キョロキョロ