たきは、要一の膝の上で、要一の顔を見上げて言った。
「そだよ、あにした?」
「何で?何で、おら要一さんに、子供みたいに抱っこされてんの?」
「おめぇが、布団に寝るのやだって言ったんだよ。」
「えぇっ!ほんとに?」
「本当だよ、なぁ貴士。」
「貴士さんが、いるの?」
たきは、慌てて要一の膝を降りた。
「もうっ、やだぁ!」
たきは、耳まで真っ赤にして、下を向いた。
「やだじゃねぇよ!貴士はずっと、心配してたんだぞ。」
「ごめんなさい。すまねがったね、貴士さん。おら、目ぇ回したんだべか、よくわがんねけんど。そうだ、おら、ねぎっ!」
「ねぎは、おっかあが、持ってった。おめぇ、おっかあに言われたことは、しっかり覚えてんだな。」
「そがい、おっかさんに、頼まれたのに…。」
「大丈夫だよ、おっかあが、休ませろって言ったんだから。」
「おっかさんにも、心配させたんだねぃ。」
「姉さん、おっかさんより、誰より、あんちゃんが、えらい心配したんだよ。」
貴士が、言った。
「うん、わがってる。こん人、いつもおらのこと心配してんだ。おらがいねぇと、世も日も明けねい人だから。」
「姉さん…。」
「ああ、わがってんだな。だからこんな命縮まるような、心配させねぇでくろ!」
要一が、笑いながら言う。
「しかたねぇべ、あんなとこに…。」
そこまで言って思い出した。
「貴士さん。あんであんなとこに、いだの?いつから、いたんだいね?」
「そうだ、貴士あにしてたんだ。まさか、たき狙ってた訳でもあんめぇ?」
「要一さんっ!」
たきが、要一を睨む。
「俺、女に追っかけられてて…。昨日、仕事仲間が、ここの場所、教えたって聞いて、前もって話すつもりで、来たんだ。だけんど、浜通りで女を見かけて、一本上の道に変えて来たんだ。そしたら同時になっちまって、様子みてたんだけんど、なんて話せばいいのか、わがんねくて、とりあえず隠れてたんだ。」
たきと要一は、顔を見合わせた。
「貴士さん、あんで追っかけられてんだかい?あん人は、どっかの奥さんだべ?」
「えぇっ!」
要一と貴士が驚いて、声をあげた。
「姉さん、あんで知ってんだい?まさか、自分で言うはずねぇのに。」
「指に、かまぼこ、結婚指輪の跡がついてたんだいね。それにしても、指輪外して、男ん人追っかけるって、離婚でもしてんのがい?」
「俺は指輪なんか、見たことねがった。跡にも気がつかねがった。確かに、旦那がいるんだ。病気で、寝たっきりの。」
「貴士おめぇ、人の嫁さんと付き合ってんのが?」
「違うよ!その旦那は、俺の上司で、突然、家で倒れて、仕事辞めたんだ。荷物整理して、俺が見舞いがてら、届けたんだ。」
「そん時に、見初められちまったの?」
たきは、少しおかしかった。女の人でも、そんな人がいるのかと、変に感心した。
「貴士さんも、要一さんに似て、男ぷりいいから、わかんなぐもねぇけんど。」
「姉さん、冗談いわねぇでくろ!」
「冗談じゃねぃよ。おら、貴士さんが要一さんでも、嫁いできたもん。」
「おめぇっ!」
要一が、たきの頭を小突いた。
「中身は、違うけんどもね。少なくとも女の人に、追っかけられて、隠れるようなことには、なんないよ要一さんは。」
要一は、たきの推察が面白かった。
「あの女の人なら、職場にも押し掛けたべ?」
じろじろと、値踏みするように見ていた女を、思い出しながら、たきが言った。
「そうなんだ。俺の寮の部屋、聞き出して、訪ねて来た。見舞いのお礼だって。」
「部屋に入れたのが?」
要一が、聞いた。
「入れねぇよ!玄関前で帰ってもらった。だけんど、休みのたんびに、来るようになっちまって…。」
「それで、おらの名前をだしたの?」
たきが貴士の顔を覗いてきくと、貴士が、頷いて、上目使いにたきを見て言った。
「好きな人がいるって。」
要一が、得心して聞いた。
「兄貴の嫁さんだって、言ったのが?でなきゃここに来ねぇべ!」
貴士が、頷いた。
「おめぇは、バカかっ?相手が兄貴の嫁さんなら、自分のほうに分があるって、思われっちまうべっ!」
要一とたきが、ため息をついて顔を見合わす。
「嘘つくより、本当のこと言った方がいいって思って、他に思いつがなくて。」
おどおどと、貴士が、言った。
「貴士さん、とりあえず、家に帰って来ねぇがい?おらがいるから、できねぇがい?」
「そうしたほうがいい!貴士、家に帰って来い。離れて、たきのこと思ってるより、俺ら二人見てたほうが、諦めがつぐ。女のほうは、出方待って、何とかしよう。」
「駄目だいね、そっでは、要一さん。先手をとった方がいい。貴士さん、職場にいらんなぐなっちゃう。そん女の人、まだ、旦那さんのお金で、生活してんだべ?一緒に暮らして?」
「姉さん…。そうだと思う。退職金も出るはずだし。」
「おらが、話つけてやる。おら、あんまり人の好き嫌いは、ねい方だけんど、あん人は、気に入らね。話きいたら、よけい気に入らね。」
たきの目が、怒っていた。
「たき…。」
要一は、こういう時のたきのなだめかたが、わからない。この状態の時は、放って置くことにしているのだが。
「要一さんか、おっかさんに、一緒に行ってもらって、おらが話つける。」
「たき、だけんど、どうやって話つけるつもりなんだ?」
要一は、見当もつかず、たきに聞く。
「念書取るんだよ。貴士さんに、もうつきまとわないって、破ったら警察沙汰にされても、裁判沙汰にされても、文句言わねっていう。」
「念書かぁ。そん手があったが…。だけんど、よくそんな事、思いついたなぁ。」
「おら、前に男ん人に、つきまとわれて、困ったことあって、お父つぁんがやってくれたんだ。母ちゃんと一緒に。」
「えぇっ!」
要一と貴士が驚いて、また、声を揃えた。
「何もされた訳ではねいよ。だけんど、門の外で見てだり、畑の畦で見てだり、出掛ければついでくるし、気持ち悪くて、おら外に出らんなくなったんだ。」
さもあろうと、要一は、初めてたきを見た頃を思い出していた。
「なら、俺が念書作っべ。相手が名前書いて、拇印押せる様に。」
要一は、村役に頼まれて、よく書いていたので、慣れていた。
「俺、家に戻るよ。一人でいてもろくなこたぁねぇ。あんちゃん達と一緒に、暮らす。あんちゃん達の間に、俺が入り込める余地はねぇことも、よくわがったし。」
「そうしたいよ!おっかさん達には、戻って来るって言えば、いいんだから。要一さんも、おらも承知だって言って。」
「そろそろ、晩飯だ、母屋にいぐべ!たき、立てっが?ゆっくり立てよ!」
要一は、たきの手をとる。たきも、ゆっくり立ち上がる。たきは、なんだか、ふわふわして、足元もふらつく。要一は、そのまま、手を繋いで、たきの足元を見ながら、ゆっくり歩く。
その後を、貴士は二人を見ながら歩いた。自分がいなかった時間が、この夫婦が、夫婦として育っていった時間でもあることを、認識した。