
森林の香りに包まれた暗がりに、高さ2mの円空仏が林立していました!「飛騨の円空ーー千光寺とその周辺の足跡」展が東京国立博物館で今、開催されてまして、私も早速見てきました。
12万体もの仏像を彫った円空の、円熟期の作品を100体もまとまって見られるとは、
年の初めからスゴイ出来事ですね。
今日はこの古くて・新しい(かもしれない…)
「飛騨の円空」展について、ご紹介させて下さい!
会場に入ると……
憤怒の眼、慈悲の微笑、
弥生系の細い眼、縄文系の濃い顔。
円空仏も様々な表情を持っているのが、まず私にもわかりました。
木材を鉈で割った、荒々しい断面をそのまま活かす、
大胆で激しさも感じさせる造形が円空仏の特長とーー
私は記憶していたのですが、
一筋切れ目を入れただけで「切れ長の目」と「眉」を表した円空仏も多く、
おだやかで、やわらかい表情も沢山あるのですね。
また例えば、飛騨の開拓者であり、
大和朝廷に滅ぼされたという「両面宿儺(リョウメンスクナ)」の像は、
丸い顔に濃い頭髪、
私にはアイヌや縄文系の血統の表情のように見えます。
円空は密教系の修行や修験道にも通じていたということで、
仏教以前のアニミズム的な感性を持っていたのも、
その造形からしっかり伝わってきます。
つまり、17世紀江戸時代、
原始的自然の中に「崇敬する何か」をみた遊行の僧が、
飛騨から東北、北海道まで各地を旅しながら、
ひたすら木に仏像を彫り続け、あちこちに残して行った
ーーということでしょう。
この感覚、このセンスは、時代を超越してアバンギャルドですらあるのでは?
円空仏が現代の私達にも、言葉にならないバイブレーションを伝えていると、
私は感じているのです。
●生き方モデルとしての円空
会場を歩いていると私にも、
「円空が生きていた風景」を容易に思い浮かべられるようでした。
山や森林の奥で瞑想し、仏像を彫り続けた円空。
森に息づく「いのち達」のために、
そして何より、その土地で暮らしている農民達のために。
小さな仏像は、女性の手の平に収まってしまう数センチのものから。
細い一筋の線を彫り、簡素な造形で、
何万という数の円空仏を人々に手渡して行った……。
それは、シンプルな「祈りのかたち」。
メディテーション(瞑想)のエッセンスを、日常の暮らしの周囲のあちらこちらに、
置いて歩くことかもしれないです。

「こんな生き方もできるんだな~~」円空のように各地を旅をしながら、
自分なりに「祈りのかたち」を様々な方々に手渡していけたら……
ひとつの生き方のロールモデルとして、
円空みたいなのもワクワクして興味深いのではないでしょうか?
円空のように仏像を掘っても、
唄を唄っても、
ビジネスでも、
コーチングでも、様々なスタイルで……
「存在の深い何か」を人に伝えられるのではないでしょうか?
【お薦め】「飛騨の円空ーー千光寺とその周辺の足跡」展@上野 東京国立博物館4/7(月)まで開催しています!
>>詳しくはこちら http://enku2013.jp/
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