あえて監督がどうとか、俳優がどうとか訴えるような作品ではなかった。
そこだけは間違いない。
シンプルでオーソドックスな作風からは、どこかトラディショナルな香りが漂う。
<死>と<生>。
ここまで普遍的に聞こえてしまう背景には色々な事情がある。
総じて私の理解には及ばない。
なぜならそれらは概念を追い求めるばかりに生じた歪みに、きっと私たちの<魂>を重ね合わせることがないからだ。
果たして<魂>とは何なのか?
この作品はカポーティのショートストーリーのように…
危険性とロマンチックな可能性を隠すことなくひけらかし、挑戦的とさえ感じる雰囲気に満ちている。
臨死体験と、それを嘲笑するかのような人々。
どちらか片方を失った「双子」。
2時間を超える作品でも、これらふたつのストーリーで十分すぎた。
ありふれた展開を、深く掘り下げるのではなく…
表層を削り取り、あらゆる偏見を取り去ろうと努めた。
来世がそこにあるのか?
君がそこにいるのなら、一体そこはどこなんだ?
答えの存在しない問いに、「応え」てくれる作品。
それは決してスピリチュアルなのではなく…
クリティカルに私たちの生き方を見直すきっかけとなりえる希望だった。
『ラブリーボーン』とは違う視点であり、こちらのほうが大人には受け入れやすいだろうね。
<死>を目撃したことはなくとも、“それ”による被害を蒙っている。
そこに存在する道理を知った瞬間、やはり“それ”は自分の身に迫ってくる。
ある意味、見えない不条理に曝される子供たちよりは恵まれているはずだ。
そういうところでも…
この作品が映画初出演というマクラレン兄弟の演技が迫真的で、信じられないくらいに心を打った。
兄弟の設定としてはありきたりでも…
やっぱり監督の存在かな?
「ジェイス(弟)を連れていかないで」
ジョージ(マット・デイモン)を介しての交信で、兄が必死に涙で訴えたシーンは鳥肌がたった。
彼は何も知らないんだよ?
でも、そこに弟がいないだけ。
そんな状況に陥りながら、最後に母にみせた笑顔が輝いていた。
大切なものは失ってみないと分からないという。
その言葉が意味するものを、この作品は“あくまで”挑戦的に描いている。
クリント・イーストウッドが求める人間性は、とても大きいのだと改めて認識できた。

現在は帰国しているが、オーストラリアに旅立とうとした弟に対して抱いた感情を思い出した。
決して「もう会えないかも」なんて考えたはずがない。
ただ…
大きくなることを期待していたんだ。