久しぶりにひとりで映画を鑑賞しに行ったが…
この手の作品、予想通り観る人を選びそうだ。
そして…
やはり自分好みな雰囲気で満ちていた。
「より善かより悪しかない」
冒頭のサル(イーサン・ホーク)と情報屋の会話で展開される、善悪の区別、そしてその根拠の所在。
何か不穏なことが起きる雰囲気が満載の車内…
“突然”もいいところ、サルが銃を放つ。
<善悪>なんてものを、机上の空論とばかりに延々と説きあげるような人物を嘲笑う。
そんなものよりも、(サルにとっては家族に対する不安であるように)自らの前に転がる爆弾を取り除いてほしい。
戦地に赴いた自分を慰めてもらう、または勇気づけてもらうより…
ここから私を安全なところへ助け出してほしい。
サルが懺悔の場でどなり声をあげて訴えた。
「欲しいのは神の赦しなんかじゃない、救いだ」
実直なリアリストは、ときには凶暴なニヒリストになる。
サルの人間性をこう感じた私は、(あとになって)恐ろしくも感じる、彼との共通性。
同僚警察の「今ある幸せを享受しろ」との声にも、耳を傾けない…
彼がその後に起こした行動はともかく、自分にとっても綺麗事に聞こえてしまった。
それは決して、サルの犯す強盗殺人を肯定するのではなく…
狂気の沙汰とも思えるほどに何かに熱中し、その中に責任感を抱いた時の人間の姿を肯定したいという意味である。
サルが帰宅したときの、彼が息子たちへ言う「カメを選んできなさい」という言葉、そして娘を抱きあげる表情に生命を惜しまない悪魔が潜んでいただろうか。
タンゴ(ドン・チードル)が生きる、昇進と友情の狭間だってそうだ。
優柔不断とも思われるような振る舞いの果てに、いったい彼が何を感じていたのか。
エディ(リチャード・ギア)だけは違うように見えた。
しかし、それも彼らふたりと同じ線上における対局の位置にいたように思われる。
先のふたりとは違うテンポで淡々と進んでいるからだろうか…
彼の<事なかれ主義>が一層際立ってみえてくる。
そこがラストシーンにおいてどう響いてくるのか…
ひとつのポイントだったように感じる。
結局生き残るのはエディひとりだった。
確かに彼は退官前に“ようやく”大きな勇気を見せつけてくれたかもしれない。
しかし、何だろうかあの最後に見せた彼の切ない表情は。
生気が感じられないのは、きっと誘拐犯との戦いに体力を奪われたからではないだろう。
ずっと奪われ続けてきたものに、気付いた瞬間だったのではないか。
情熱なきものは、善人にも悪人にもなれないのである。
そして、彼らの情熱が交錯した瞬間があの交差点だった。
人間はどちらから歩いても、結局向かっている方向は同じ無限のループなのだろう。
そこから抜け出す方法があるとすれば…
あまりにもシンプルに、そしてコンパクトに男の<性>を描きだした作品といえる。
観賞後に、「善とは何か?」「悪ってダメなものなのか?」なんてクエスチョンを自分にぶつけてみると、大変な意義が生まれ得る作品ではないか?
いやしかし、きっと誰もそれに答案を導くことのできる人間はいないだろう。
そう感じるだけ、自分にとっては秀作だったのかもしれない。

最も好きな俳優のひとりイーサン・ホークをはじめ…
どんな役でもハマリ役になるリチャード・ギアと、主役をも凌ぐ脇役ともいえるドン・チードル。
好きな俳優たちをここまで並べたてられて、個人的にはとても贅沢な2時間だった。
どうやら私は…
違うタイプの男3人というシチュエーションの映画に、魅力を感じている傾向があるようだ(笑)