ネット右翼になった父

 

鈴木大介 著

 

講談社現代新書

 

 

書店でふと見つけた新書。

貧困や差別、底辺と言った社会問題を取り扱っている著者の、

お父さんがネット右翼に!?

 

高齢者の右傾化や、

低いネットリテラシーの問題を鋭く描くのか?

そう言った内容を期待して購入。

 

著者の父親は最晩年になり、

ヘイトスラングを口にし、

俗悪な右翼系動画を熱心に視聴するようになった。

長らく、父親とは疎遠だった著者。

父は間もなく他界する。

その父親のあり様に著者は悲しみと怒りを感じる

 

そこまでは、本書のごく序盤である。

そこから、父親を例にとって、

高齢者のネット右翼に傾倒するメカニズムを分析する内容かと思った

 

言うまでもなく、ネット右翼は思想的な右翼とは一線を画した、

発言者の身も明かさない卑劣で低俗な連中である。

彼らは一見、

社会の底辺で被害者感情を持ちながら鬱々と暮らしている、

引きこもり系の若い男性の様に思われがちである。

 

しかし、ネット右翼の主な構成員は、

意外にも社会的地位のある中高年男性だと言う

 

そして本書は、その様な展開にはならない。

著者は一時的な感情を抑えて、

父親が本当にネット右翼だったのかを検証していく。

 

父親に対する記憶や、残した遺品。

家族(著者の母親や姉)への聞き込み。

さらに、生前父と親しかった知人たちとの対面。

 

そう言った、

ジャーナリストらしい細かい調査と分析を経て、

父親はネット右翼などではなく、

一時的にもそう決めつけた自分への反省を結論づける

 

事前に期待した展開ではなかったが、

これはこれで読み応えのある一冊となった。

 

それにしても、

もし自分が著者と同じ体験をしたらどうなるだろうか?

一度、父親に押した「ネット右翼」と言う烙印を消すことは無かったかも知れない。

また「もしかすると違う」と思いつつも、

ここまでの調査と分析など、できないだろう。

その行為は、自分のみならず家族をも巻き込む身を削る様な残酷なものとも言える。

著者の様なジャーナリストだからこそ、

何とか可能になった行動だと思う。

 

結局、父親のネット右翼説は否定できた。

ただ、実際にヘイトスラングや、

女性蔑視、愛国心や自己責任的発言などをしたことは事実である。

そこには、時代についていけない高齢者が陥りがちな一面でもあろう。

 

ネット右翼かどうかは別として、

高齢者になりつつある我々は、

時代に取り残された様な頓珍漢な発言に留意しなければなるまい。