「努力は必ず報われる」論争に明石家さんま参戦。「そんなこと思う人はダメですね、間違い」
http://www.j-cast.com/2014/06/09207138.html?p=1
『努力は必ず報われる』という言葉に、タレントの明石家さんまさんがラジオ番組で、「努力が報われると思っている人は見返りを求めてしまっている」と反論したそうです。
努力は必ず報われる・・この言葉よく聞きますよね。
でも、よく考えると、人ってどういうことについて「努力する」のでしょうか。
そして「努力は本当に報われる」のでしょうか?少し考えてみました。
まず「量的な努力が結果に結びつく」場合。
例えば、スポーツとか、趣味とか。まったくやったことがないゼロの状態から、練習すれば確実に技術が向上する、上達する、という場合。
例えば。。。私もフラメンコを趣味でやってますが、最初に比べたらずいぶんうまくなりました。
料理も毎日作ってれば、そりゃ上達しますよね。
仕事だと、わからなかったソフトの使い方が、継続してつかっているうちに、人にまで操作方法を教えられるようになった、みたいなこととか。
他にも色々ありそうな気がしますが、「レベルを上げたい」というためにするパターンは「努力は必ず報われる」と言っても良さそうですよね。
ところが、「努力をする」パターンはもうひとつありました。
それは「その努力は誰かに認めてもらわないと報われない」という場合です。
「努力は必ず報われる」ではなく「報われたい」と言い換えてもいい気がします。
例えば、すごく歌の上手い方がいて、歌手になりたいとしますよね。
で、レッスンもしてるわけですよ。
で、すっごく上手くなるわけです。
でも、歌手にはなれない方もいますよね。
これは、努力が足りないのでしょうか。
でも、確実にレベルは上がってますよね。高いですよね。
努力する→レベルアップ→そしてそれを誰かが認めてくれる→その結果、本人の希望が叶う
レベルアップが目的ではなく、レベルアップの先にある何かを手に入れたいというパターンが存在します。自分の努力を「人に認めてもらいたい」とか、「誰かに認めてもらわないと結果が出ない」という場合、努力が自己完結で終わらないので、「努力が報われない場合もある」ことになります。
さんまさんが「見返りを求めてしまっている」と言っているのは、こちらでしょうね。
とはいっても、努力で報われることは(技術的なことでいえば)かなり多いのではないかと思います。
仕事でも、その技術を持っている、とか、うまく話せるということでさえも、割合と練習したり勉強したりすれば何とかなるみたいなことがほとんど。
「努力で報われる」カテゴリーをきちんと押さえていくというのも大切なことです。
私が担当している広告の仕事でさえ、努力をして広告の知識を入れて、現場を何度も踏めば、ある一定の仕事はできるようになります。
ただ、例えば「●●の仕事をしたい」と思って、努力していたとしても、誰かが認めてくれなければそのポジションに行けないですよね。
それから、せっかく●●の仕事につけたとしても、ある一定のレベルには到達できても、その先への壁を感じることも多いですよね。
「量的な努力で報われる」ことと「量的な努力だけでは報われない」ということがあり、
「量的な努力だけで報われない場合」には「質的な努力を追加していく必要がある」。
どこに希望をおいているかにもよりますし、ここから先はアイデアや分析が大事で、それで手にできることも多いですが、いずれにせよ「それでも報われない場合」を踏まえておくべきでしょう。
「報われる努力」なのか「報われないかもしれない努力」というのは、量的な努力で報われるか、そうでないかということに言い換えられるのかもしれません。
どちらに該当するかを分析して、努力の方向性や内容を考えるというのがいい気がします。
ちなみに前述の「努力は・・・」の言葉。
よく聞くこの言葉ですが、私は「努力したからといって必ず報われるわけではないけど、成功した人はみんな努力している」という言葉が好きだったりします。
あと、努力すれば私が悩んでいるくらいのことは大体クリアできると経験上知っているので、努力をして自信をつけるようにしています。
そしたら後は神頼み、みたいなものです。
叶う場合もあるし、叶わない場合もあるけど、しょうがないじゃないですか。
だから「好きでやっている」と思えると幸せなんですね、きっと。
それくらいの軽さもありながら、人生を超えていければいいのでは、と思います。