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Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

なぜ私が精神科医療に不信を抱くようになったのであろうか。

 

 私が最初に精神科医に会ったのはもう20年と近く前のことになります。当時の私は大学生でした。

 いろいろと追い詰められて、大学の保健管理センターを訪れました。詳細はここでは省きますが、薬物療法が始まりました。

 当時の私は大学入りたてで何の知識もない若者でしたので、医療を疑うということはまったくありません。友人関係もまったくないので、自分自身で考えて行動するしかありません。他者からの指摘、客観的な意見がない状態です。

 

 その後、学部は卒業できたのですが、ロスト・ジェネレーション世代でもあり、なおかつ精神疾患患者となっていた私が就職できることはなく、大学院修士課程に残りました。

 

 その時に今までの精神科医が転勤して、某クリニックに転院しました。そのため薬剤の変更もあったわけです。

 私が「薬の副作用で苦しい」と訴えていたので、新薬に変更となりました。

 

 当時はオランザピンやリスペリドンといった、SDA(セロトニン・ドーパミン・アンタゴニスト)が立て続けに認可されたため、そのオランザピンが処方されました。

 私は服用したのですが、やはり副作用が強く、日常生活が困難になるほどでしたので翌週の外来時に主治医に「副作用が強くて飲めません」と伝えました。

 その時の主治医の返答が、「新薬なのでそんなはずはない」というものでした。

 

 この返答に私はショックを受けました。

 実際に私自身が飲んでから言っているのに、新薬だからという理由で否定されました。この理屈がまったく理解できず、この精神科医に不信感を抱いたのが最初だったように記憶しています。

 なお、このあと私がしつこくこの薬は嫌だといったので、リスペリドンに変更されましたが、結局、薬剤性パーキンソニズムを起こして他の病院の閉鎖病棟に入院することになりました。

 それでこの精神科医とは、患者と治療者という関係は切れました。

 でも、この精神科医は私の地域では権威を持っていて、お仕事関係で絡むことは多かったです。でもその精神科医は私のことなどは覚えていません。

 

 こうして回顧してみても、私が精神科医に不信を抱くには、実体験という充分な根拠があったことになります。

 資格の国家試験を受験する際にはマニュアル通りの論理を覚えないといけなかったのですが、違和感を感じながら試験勉強をしていました。

 医療界という特権階級に真っ向から反抗することができませんでした。

 今日、労働問題に独りで反抗して解雇されてみて、改めていろいろな想いが浮かんできています。