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Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

なかなかに自分が苦しんでいる理由といいますか、その正体がよく分かりません。それだからこそ解決策も見つけ出せずに悶々と月日を無駄に重ねてしまいます。

 

 しかしながら確実なことに、私の吃音は遅発性ジスキネジアの症状によるものあって、それが私を大いに苦しめていることがあります。

 遅発性ジスキネジアとは、脳の黒質線条体でのドーパミン受容体の異常などで起こる運動機能障害のひとつです。黒質線条体の異常としてはパーキンソン病が有名ですが、遅発性ジスキネジアでは、奇妙な運動障害が口元に出ます。意識せずに口元を動かし続けてしまいます。常に動かしていると一種の緊張状態が続いてしまいますし、本当のストレスによる緊張状態になると過剰に口元に力が入ってしまいます。これが吃音の正体になっています。

 

 私の場合、このドーパミン受容体の異常の原因は、長期間にわたる抗精神病薬の服用になります。SDA(セロトニン・ドーパミン拮抗薬)の長期服薬です。体質もあるのでしょう。そもそも抗精神病薬を服用する目的は精神症状の緩和にあったのですが、私には本来の目的以外の効果、つまり副作用のほうがはるかに大きく出てきました。

 それでも15年以上服用し続けた結果、遅発性ジスキネジアという取り返しのつかない症状を抱えることになりました。

 

 とにかく、うまく話すことのできない吃音状態はかなりの社会的ハンディキャップになっています。明るくはきはき話すことが求められる社会ではけっこうな苦戦を強いられます。この3月で契約切れで解雇になりますので、これから次のお仕事を探すことになるのですが、億劫な気持ちです。なにしろまだまだ採用において面接が重要視されているところが多いからです。面接試験において圧倒的不利になってしまう現状にため息をついてしまいます。

 

 また、遅発性ジスキネジアによる吃音は薬剤性のものになります。一般的な障害とは認められない部分が多いのです。薬物依存症とも違ってきます。社会的ハンディキャップとしてまだまだ未確立です。

 

 「思い通りに話せない」これは想像以上に苦しみますし、一般社会ではかなり評価を落としてしまいます。「もっとはっきり話しなさい」と指摘されることは、私自身に問題があるように感じてしまいます。とはいえ、自分でもコントロールが難しい。

 特にそれ以外での身体的な見える障害が無ければ、なぜ吃音なのか、なぜはっきりとしゃべれないのか理解されません。抗精神病薬の副作用・後遺症の話になればなおさら理解が難しくなります。

 今現在では、ただ自分ひとりで抱えて、地道にセルフスピーチセラピーの方法を模索しています。