Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく -28ページ目

Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

 ここ1年近く苦しんでいるのが両目の不調です。

部屋の電灯だけでもまぶしく感じます。目やにが溜まりやすくなっています。眩暈を感じます。

 

このような不調は何が原因なのかをずっと考えています。不調に気付いたのは仕事中でした。

 

 仕事で1日10時間以上2台のパソコンに向かっていたからでしょうか。一週間にしますと50時間を超えてしまいます。

 もちろん私は非常勤職員なのでタイムカードは持たされませんから、勤務時間の記録は存在しません。そのため長時間労働による症状であっても、長時間労働そのものが存在しないことになっているのでどうしようもありません。

 ストレスでしょうか。私はクレーム対応をしていたので「ぼけ」「ばか」「死ね」という言葉を浴びることは日常茶飯事でした。クレーム対応は使い捨てができる人材が担当するので、ケアする余裕も与えられません。給与も正規職員の4分の1程度ですから、ケアするための金銭的費用にも余裕がありません。

 

 そしてもうひとつが向精神薬の中毒症状と離脱症状でしょうか。

20年ほどの服薬により身体依存が激しく、身体がまいってしまいました。そのため減薬を試みているのですが、離脱症状により、眼の症状が出てきたのではないでしょうか。

 その理由としては、私が向精神薬による眼球上転を頻繁に起こしてきた経験から推測していることです。向精神薬による眼球に対する負担の大きさには長年苦しめられてきました。それらが再び私を苦しめているのではないでしょうか。

 

 しかしこうしたj症状は薬物を処方した精神科医に訴えても、眼科を受診してみたらいいと言われただけです。まだこうした症状が精神科での治療行為に起因するという考え方は一般的ではないようです。

 かと言って眼科を受診したところでどうでしょうか。私は首の痛みで整形外科を受診したこともあるのですが、レントゲン写真を撮ったところで所見は見られないのですから、整形外科医は「頚椎症ということにしよう」と言って経費豪薬を処方しただけで終わりました。

 眼科を受診したところで同じことのような気がしてなりません。このような経験は非常に心理的ダメージが大きいので、できれば経験したくなく避けるべきことなのです。加えて、向精神薬を服用していたことを他科の医師に明かせば、担当の精神科医に言ってくださいと返されることになります。

 

 目の症状も改善兆候なく、打開策も見つからないまま、苦しみに耐えるだけの日々になっています。いつまで目が持つのだろうか、いやいっそのこと目をつぶしてしまいたくなります。

 別に見るべきものもなく、見たいこともありませんので。