いつの頃からか分からないけれども、自分の感覚が過剰に敏感になっていることを痛感しています。子どもの頃やもっと若い時とは違ってきているように感じます。
なぜこんなに感覚が敏感になってしまったのか?
感覚過敏は実社会ではけっこうハンディキャップになってしまっているので、ついついその原因を探って、少しくらい緩和できないものかと考え込んでしまいます。
この考え込む傾向も、感覚を敏感にする要因ではあるのでしょう。
1・いつ頃、感覚が敏感になっていることを自覚したのか?
2・日常のどんな場面で感覚がより研ぎ澄まされるのか?
3・ハンディキャップとは具体的に何か?
4・即効性のある緩和策、解決策があるのか?
だいたいこの1〜4が整理できれば、分かりやすいのではないでしょうか。
1・いつ頃、自覚したのか?
これはけっこう最近のことなのではないかと思いっています。ここ2、3年のことです。意外なことかもしれません。若い時の方が感覚は敏感なような気もします。しかし、私の場合は違うようです。
要因を考えてみるに、年齢を重ねるにつれて、実社会では年齢相応の態度や能力が求められるからでしょうか。より気を使うべき場面も増えていくのは当然なのでしょう。
しかし、私は長い間の孤独な生活を続けてきました。家族や親しく付き合うような相手もなく、人間関係としては職場などの業務上の付き合いだけでした。
業務上の付き合いというものは、かなり緊張の強い人間関係です。こうした緊張状態を長期間続けていると感覚が変わってしまうことは予想しやすいのではないでしょうか。特に私は業務委託に類する仕事が多かったものですから、委託元の機嫌を損ねないことが求められ続けました。さらには職場では、よそ者としての存在です。
よそ者として困るのは、その場の暗黙の了解みたいな不文律がよく分からないことです。例えば、このテーブルは私が使っても良いのか、荷物はどこに置けば良いのかなど、取るに足らない些細なことから分からないことが多いのです。こういう些細なことは明確に決まりがなく、その時の担当者やその場にいる人々によってすぐに変わっていきます。自然と自分の感覚を研ぎ澄まさせて、職場の雰囲気を察していないといけません。本来の業務より難しいことのようにも感じてきました。
あまり細かく述べても仕方ないので、簡単に済ませますが、こんな緊張の強い人間関係だけの生活では、感覚過敏にならざるを得ません。失敗が許されない人間関係だけなのです。
失敗しないためには常に全力で精神力を注ぎ込み続けます。感覚を敏感にすることが当たり前になれば、わずかな刺激にも反応しやすい神経が形成されます。これがいわゆる「アップ・レギュレーション」でしょう。
感覚過敏にはアップ・レギュレーションが深く関わっているのだと思います。これは神経細胞そのものの質的変化ですから、これを矯正して正常な状態に戻すことが困難になります。だからこそ、その困り具合も飛躍的にアップです。
アルコールや向精神薬の長期服用による後遺症と構造的には似ているのでしょう。こうした後遺症に多くの人が長期的に苦しんでいる実情からしますと、アップ・レギュレーションの緩和はそう簡単には実現しそうにありません。
今回は最初の項目1について考えてみましたが、孤独な生活を続ければ続けるほど感覚過敏になるということで、そうした生活を続けている限り進行するという結論に達してしまいました。つまり私については、直近であればあるほど感覚が敏感になっているということになります。
なかなか絶望的な始まりになってしまいました。