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Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

現在の自分の職務に満足していないためか、あまり仕事関係のことを書こうという気にならなかったのですが、非常に共感できる思想に出会いましたので、ここに書き残しておきます。

 

 精神医療に「精神科訪問看護」があります。精神科を標榜している病院や診療所(クリニック)の医師が訪問看護指示書を出し、それによって患者自身との契約を交わして、看護師や精神保健福祉士が患者さんの自宅を訪問して多種多様な支援を行うものです。

 単純な「看護」に止まらず、患者さんの生活にかなり密接に絡んだ支援内容になることが特徴です。

 

 このほど、私が普段担当している地域に新しく訪問看護ステーションを設立しようと計画している看護師さんから話を聴く機会を得ました。

 想像が付きますように、新しく事業を立ち上げることは、多くの困難に立ち向かわなければなりません。医療業界ではそれが顕著でして、独特のヒエラルキーが存在します。地域内でのヒエラルキー、異業種間のヒエラルキー、同じ医療者同士でも縄張り争いではないですが、暗黙の了解に基づくテリトリーみたいなのが存在することがあります。特に閉鎖的な、人々の出入りが少ない田舎ではこの特色が色濃く反映され続けています。

 

 そんな状況下で訪問看護ステーション設立を試みている看護師さん。田舎な地方では、大きな精神科病院が幅を利かせていて、すでに病院内で訪問看護を実施している状況です。そこに割って入る形で、ステーションを立ち上げることは、未知の世界への冒険に等しいものです。スタートレックをファンである私には、その冒険心がうらやましくも移りこみます。

 

その看護師さんの基本理念・・・(筆者の解釈によります)

 1、訪問看護ステーションから「病院」というイメージを払拭する。

 2、医療的看護ではなく、就労の機会や社会性を得ることを目標とする。

 3、孤独への対応

 

 これらは私が看護師さんの熱意ある話を聴いてまとめたものですから、多少の食い違いはあるかと存じます。しかし、現在の社会がかかえる問題点を鋭く突いていて、そこに看護師という立場で介入できることを明快に示していまし、高尚な思想だと感じ入りました。

 願わくば、なぜこうした思想に至ったのか、教えてもらえる機会を得たいものです。