孤立ゆえに考えること | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

Aung San Suu Kyi(アウンサンスーチー)さんのノーベル平和賞受賞記念講演の中にこのような一節があります。

 

"A positive aspect of living in isolation was that I had ample time in which to ruminate over the meaning of words and precepts that I had known and accepted all my life."

 

 私も同じような状況が続いています。まさにいつ終わるのか分からない自由のない生活です。

 

「自由」とは物理的に拘束されていなければ獲得できるものとは限りません。

 

 現代的に考えてみると「虐待」の定義に「精神的虐待」というものがあります。

 

私はその「精神的虐待」を受けている状況にあります。

当然ながら、私がこの窮状を訴えたところで、精神障害者の被害妄想として扱われます。それが常識なので仕方がありません。

 

ただ一人で耐えることしかできないのです。結果として死んだとしても、仕方のないこととして処理されます。