ことさら病んでいることに対しての否定的な印象を持たれ続けています。
大きな疑問として、「私は本当に病んでいるのですか?」という問いにさえ、明確に答えを得ていません。一度、病気であると診断を受けると、それをくつがえす手段が無いことに非常な脅威を覚えます。自分自身で否定することもできず、精神疾患であれば、強制入院という制度も存在します。本人の意思や言葉はそれほど重要なものではないようです。
私の自学自習は中国古典の老子・荘子から始まりました。一言でいうと「無為自然」を是とします。人間が自然に余計な手を加えるからさまざまな悩みが生じてくるという考え方だと、私はとらえています。
だから病気という概念も人間の作り出したもののひとつなのでしょう。宇宙からの視点でいえば、万物が巡り巡るのは当然であって、栄枯盛衰もただの流れにすぎません。人間が生まれて死んでいくのも自然な流れにすぎません。自然死だろうが病死だろうが事故死だろうが、物理と化学の現象の違いだけしかないということなのでしょう。かなり極端で厭世的な視点ではありますが、無為自然の極地をなぜか私は気に入ったから、その後に多くの勉強を続けることになったことは確かです。
何が言いたいのかというと、人為的なものを否定するというネガティブみたいな考え方でも、人間性を磨くというポジティブな側面に変わる部分もあるということです。だから病んでいることに対して否定的な印象ばかりが一人歩きすることに憤りを覚えるのです。
「健康寿命」という言葉を多く目にするようになりました。できるだけ健康な状態を保つことが重要視されていますが、違和感を感じずにいられません。健康でない人を排除する意味が理解できないのです。
これでは「病気」が一生消えない烙印になり続けるでしょう。それを私利私欲のために利用されるようなことがあれば、と心配は尽きません。
未だ、病気の烙印化を解消する方法は見つかりませんが、警鐘として心がけておくようにしたいものです。
