先月ブログ更新の直後

義母が亡くなりました。

日常に戻りつつありますが

忌明けはまだです。


日を追う事に、あぁ、もうこの世のどこにもいないんだ…と何とも言い難い気持ちになるんです…。

いや、そんないい嫁でもなかったし、

すごく仲良しだったわけでもないのに。

なんだろう

寂しさ?罪悪感?この何とも表現しがたい感情は何に起因するのか。


きっと何年か経てば忘れてしまうのかも。

いや、私のことだから四十九日過ぎる頃にはすっかり日常なのかな…。

なので今の気持ちを私の記憶としてここへ残そうと思います。


いつもブログ読んで下さる皆様、

今回もご訪問ありがとうございます黄色い花

ただ、今日は楽しい事を全く書いておりません。

しかも長い…

なので遠慮なく閉じて下さいお願い



義母が認知症であること。

夫のお母さんに対する対応に、私が多いに不満に感じているなど、

時々、小さく…いや小さくはないか汗

とにかく

私の愚痴を旅行記に、混ぜ込むようにポロポロこぼしてはおりましたが

まさか、こんな突然の別れになるだなんて。


詳細は避けますが

全く命に関わるような事ではない入院をしてすぐのことでした。

深夜、私の携帯へ病院からの着信。

夫は実母が入院中にもかかわらず、

携帯を側におかずに休むものだから、

私へ連絡がきた。

心肺停止で、もはや手の施しようが無いとのこと。


なんで?

なんで死んじゃうの?


生死がどうのなんて状態ではなかった。


だから退院後に備えてソーシャルワーカーさんにも相談して介護付き老人ホームやグループホームの面接も予定していた矢先のことで、私は義母の死を全く納得していない。

本当に命がどうのなんて病院の方も一ミリも希有していなかったのではないかと。


夫の部屋へ行き、とりあえずリビングで座らせ落ち着いて聞いてと、訃報を伝えた。

夫もわけがわからないと取り乱した様子で、

なんで?なんで死ぬんだよ?

死ぬような状態じゃなかったじゃないかと。


私の運転で病院へ向かう途中。

俺、母ちゃんに何もしてあげられていない。なんもしてない、なんで死ぬんだと

夫は号泣した。


何もしていない

そうかぁ…何もしていなくはないけれど、

良く見てあげたとは言えないと思う。

だなんて、

もちろん言えませんよ。

どれだけよく面倒を見てきた方でも

亡くなると後悔しかなく、もっとできたことがあったはずだと自責の念に囚われる。


嫁の私から見ても、息子達から見ても

たった一人のお母さんを夫がそれほど大切にできていないのは明らかだったし。


亡くなる前日、墓に布団は着せられずというでしょ。親孝行は生きてるうちにするものよ。

そう言って夫を義母の所へ向かわせた。

まさかあれが今生の別れになるなんて思ってもいなかった。


もちろん私などに言われずとも、

プリン買ってお見舞いへ行ったり

家にいた頃は時々外食へ連れて行ったりもしていたけれど。


葬儀後、役所関係処理の為に、

夫は義母が借りていた貸金庫へ。

認知症でしたから夫が出入りできるように委任状だしておいて本当に助かった。

そこで夫が持ち帰った物の中に、夫へ宛てた遺言書というかお別れの手紙がありました。

結びの一文には、

母は寂しがりやです。時々はお墓に会いに来てくださいと書いてありました。


泣けてきた。

通夜も葬儀も火葬場でも、何でこんなに涙がでるのかわからないくらい私は泣いた。


決して仲が良かったわけではない姑。

認知症の初期の頃、嫁の私が物を取っただ

の、お金を盗んだだだと言いはじめ、

家族みんなの前で、私が部屋に入るとこを見たんだからと酷い濡れ衣を着せられたこともある。

次男が、それ俺だよ、さっき用があって行ったのにと言っても、あくまでも私だと言いはった。

認知症発症前には、夫のことで大喧嘩したこともある。


二世帯住宅での同居です。

気の強い私も憤慨して、二度と義母のところへは行かない!と距離を置いた日々もありました。

それでも、季節の行事には声をかけ、誕生日や母の日もお祝いした。

子ども達が中学生になるまでは毎年夏がくると私の両親も義母も誘い皆で東へ西へと大所帯旅行もした。

認知症が進んでからは夕飯や洗濯、ディサービスへの準備もした。

嫁としてそれなりにしてるいるつもりだった。だけど、寂しがりやだなんて知らなかったし、私がしてきたことは嫁として、私自身の免罪符だったような気がする。

おかあさん、寂しかったんだ。


私が帰宅すると、隣の玄関からは、

あぁ◯◯ちゃんが帰ってきた。

よかったわ、嬉しい。

とつぶやいてるのも聞いたことがあったのに。

私を頼りにしていることを、私はちゃんとわかっていたのに

どうして、

どうして義務のように感じてしまっていたんだろう。


今、コメダ珈琲の前を通る度に、珈琲が大好きだったのにもっとカフェとか連れていいってあげればよかったと後悔し、
帰宅してお線香上げに義母の部屋へ行けばどうして毎回、ただいま、行ってきますぐらい声をかけてあげなかったんだろうと辛くなる。


亡くなる2週間前に、暑くなるからショートカットにする?と美容院へ連れて行った時、綺麗になったと喜んで、ディサービスでもみんなに可愛い似合うと褒められたと話していたと夫から聞いた。


病院で看護師さんに、息子さんだけだと

食事どうされてるの?と聞かれたときも、

お嫁さんがいい娘で作ってくれると話していたと夫から聞いた。


めんどくさいなぁなんて思わずに、もっと好きなものつくってあげればよかった。


夫は後悔しかないだろうな、と思うけれど

私も後悔してる。


どうしてかな

意地悪言われたことも、腹のたつ思い出も

いっぱいあるのに、そんなに仲良しだったわけでもないのに、寂しさが込み上げてくる。


通夜の前に装美屋さんを手配して、

義母のお気に入りの着物で旅立ってもらおうと和ダンスを開けたら、ものすごい数の着物があった。

お茶にお華、川柳、ヨガ、体操教室、卓球

とか他にもたくさんのお稽古事されてたなぁと。


その頃はお友達もいっぱいいたのになぁ。

友達って…何でしょうね。

認知症になって最後まで義母の所へ来てくれた人は彼氏一人だけでした。

彼氏?多分そうだと思う。

詳しくは知らないけれど、離婚後独身の義母に彼がいたのは私も夫も知ってる。


知らせようかと迷ったけれど、

連絡先も見つけたけれど、

お相手のご家庭の事とか全く分からないし、お子さんやお孫さんがいらっしゃるのかも知らない。

ご迷惑かもしれない…。

できないよね。


寂しがりやな義母は最後に会いに来て欲しかったかもしれないけれど。


夫は毎日義母の部屋で寝ています。

御位牌や墓石をあーでもないこーでもないと一生懸命選んでる。

生きてる時に一生懸命すれば良かったのにね…。もちろん夫は後悔しているから今できることをしてあげているんだと思う。


私の両親やお世話になった方々へもきちんと挨拶へ行く。

ただ、私には未だありがとすらないよ。


ないよー。



君はホント学習しない。

私がいるのは当たり前ではない。

わかってるの?

まっ、私は君より長生きするので問題ないね。私を失って君が泣くことはない。


ン?私も学習しないのかな

あいかわらず文句ばかり書いてるけれど

夫がこの世を去る時私はまた後悔するのかしら?

いや、よくやった!と自分を褒めるのかな?

褒めるでしょ笑


良い機会なので私がこの世を去った後の事を次男に託した。


お母さんがこの世を去ったら、絶対にお墓へは入れないでねと。


葬式不要。

戒名不要。

知らせてほしい人もいない。

亡骸は誰にも見せずそっと火葬して海へ撒いてと。


次男に交渉された。


俺だってお母さんに会いたくなる時もある、結婚する気はないけれど、もし将来子を持つ事になった時、瀬戸内海に連れて行って、おばぁちゃんこの辺を漂ってるよというの?なんか嫌だわお墓参りできるようにしてと言われた。


百歩譲り樹木葬に落ち着いた。 

まだ30年は生きるつもりだから、この世の魂がなんの木に生まれ変わるのかはゆっくり考えよ。


春に新芽を息吹かせ

夏には豊かな緑で涼やかな木陰を作り

秋は赤や黄色に色づく

そして風に乗って葉っぱは旅をする。

うん、私らしいな🤗


義母の残した、しつけのついたままのたくさんの和服とジュエリーは私が受け継ぐことになりました。

娘がいないとそうなるんだよね。

私も娘いないわ。

ただ、たった一人の孫は女の子。

曾祖母ちゃんからの素敵な贈り物も

私のお気に入りも全部この子が大切に

持ってくれれば嬉しいなと。




テキストを入力



沢山お持ちでしたが、

私が義母らしくてお似合いだったなと

思っていたのはこのトルコ石のブローチと

イエローダイヤの指輪。


色白でオシャレで華やかな女性でした。

孫達もとても可愛がってくれた。

お雑煮が上手で美味しかった。

亡くなると良いことしか思い出せませんね。今だけかな。

後々また腹の立つことも思い出すかもね。


ありがとうおかあさん。

どうぞ安らかにあじさい

時々お墓参りするね、

寂しがりやなんだものね。


人生は短い。

大切に思う人にはできるだけ会おう。

そして大切だと、大好きだと、ありがとうと伝えよっ黄色い花