とっても傷つきやすかったあの頃
些細なことででも傷ついて
でもそれを表に出して
人に知られるのが、とてつもなく恥ずかしい。
だからなんでもない顔をして凌ぐ
というのが当時の処世術でした。
ツライ 〈〈〈〈〈〈〈〈 恥ずかしい
のです。
(恥ずかしいのがツラさをさらに増幅させるので)
恥ずかしさで死ねるくらい
恥ずかしいことに耐えられない。
バレたくない。
(画像はお借りしました)
『些細なことで』
『ものすごく落ち込んで傷ついて』
『自責の念に駆られる』
そのため
日常生活は
なるべく傷つくことがないように
波風を立てず
静かに粛々と過ごすために生きている感じ。
この傷つき具合を
胸にデッカい杭を 打たれたような痛み苦しみ |
身体中にたくさんの剣を 突き立てられたような痛み苦しみ |
のようだと
当時は認識していました。
タロットで例えるとこんな感じ
この『傷ついた時のダメージ』を
人と比較したことないので分かりませんが、
他の人はどのように感じてるんでしょう?
いちいちこの痛みを味わっていたら
本当にシンドいし、
痛いだけじゃなくて
さらに自分責めをしてしまうし、
ダメージから回復するのにも時間がかかる。
精神が病む一歩手前を
ギリギリ凌いでる感じでした。
傷ついてダメージを受けないように
慎重に生活しているので、
リスクのある人とのコミュニケーションは
なるべく回避しつつ、
『逃げたばかりでは克服できない』と
あえて逆境に身を置いたり。
慣れることで感覚を麻痺させて
「こんなことは大したことない」
と洗脳してたっけ。
そもそも
過剰なくらいの傷つきやすさが
原因だったんだけど
【自意識過剰】なんだと思ってました。
🍎過剰に傷つきやすい
🍎過剰に恥ずかしいと思ってしまう
🍎それに伴う精神的ダメージの大きさ
これらによって
悩み事、困りごとを誰にも
打ち明けることが出来なかったのが
(場面緘黙症の後遺症も関係あり)
自分がドンドン追い込まれていった
大きな要因だったなぁと感じています。
それさえ、もう少し
抑えられたら、
もっと気軽に相談できたでしょうし、
ほかの人がわたしほど
傷つきやすい訳でもなく
失敗も「そんなことあるよね」と
引きずらずに切り替えられるのを
理解することもできたでしょう。
まさに
『心を止める』
をしてないともたないんだよね。
こんな感じだから
⬇︎