巷ででよくある?



『どうせわかってもらえない』



という思い込み、ありますよね〜







うねこ*ももれなくありますが、


他の人と定義がちがう?


と思うことがありましたので書いてみます。








わたしの場合の


『わかってもらえない』は









これを自分が理解するのはもちろんだし、
他の人に理解してもらうのも
なかなか難儀なのであります。






機能的には問題ないのに
(しゃべれるし、きこえてるのに)
ある特定の場面では
しゃべれなくなってしまう(動けなくなってしまう)







今は知識や理解のある教育者や保護者が
増えたのかもしれませんが
自分がこどものころは
全くの皆無状態。




【場面緘黙症】(ばめんかんもくしょう)





なんて言葉も耳にしません。







そんな世界で誰がわかってくれるのか?









先生?






両親?





どこかのお医者さん?







友だち?










自分すらわかってないことを
人にわかってもらうなんてムリ。








そもそも伝えたくてもしゃべれないし。






何がどうなってるのか、
自分でもわからないから
説明できないし。






万が一、うまく伝えられたとして。







相手が【理解】できるとは限らないし。



相手に理解できる能力と
こちらを理解しようとする気持ち

が不可欠だけど
両親だと説明をしただけで
(責められた!?)
と感じてしまい拒否するかも。












まームリでしょ。
(もちろん理解ある方や知識のある方は別ですよ)





プンプンいやいや、諦めずに伝えることが大事だよ!





と言われても、
一度でも『理解不能』
なリアクションされたら、
心が砕け散って立ち直るのに
時間がかかりすぎてリスクがデカイ。








で、諦めるよね。











『わかってもらえない=絶対にわからない』



なのです。
(わかってもらえるまでに心が持たず、たどり着けない)







 



かたや巷でよくきく



『わかってもらえない』



これはどうやら







もしかしたらわかってくれるかも…

この人ならわかってくれるかも…

今ならわかってくれるかも…










と期待と見込みや希望ありきな上での


『わかってもらえなかった…!』


という失望パターンと











『どうせわかってくれないんでしょ!』


という拗ね、なのではないかな?


と思われます。














期待する分、失望が大きいですよね。

わかってくれるかもしれない


でもわかってくれなかった







そりゃあガッカリするよね。









で、原始反射の統合をすすめて
だいぶ楽になったわたしの感覚からすると











『やっぱりこの感覚をわかってもらうのはムリだわ!』










という感じです。




全然違うもの!





こんなに楽な状態で生きてる人に
『わかってください』といっても
『わからなくて当たり前』









逆にわたしも一般のひとの感覚は
理解できませんしね。


 




でもだからこそ


『自分自身がわかってあげる』


ことが大切だと思います。





そうした上で



『楽しみましょうね』






お読みくださいまして
ありがとうございますグリーンハーツ