僕と次男くんを見ていると、
もともとの性格
があるなとつくづく感じている。
その事によって、
それぞれに掛けられる言葉も変わってくる
ことにより、
より、どんどんそれぞれになっていくんでしょうね。
私もたくさんのものを積み重ねて
葛藤や落ち着かなさ等のくもり
にに左右される
これ、結構な不自由…
例えば、
ただ実家に顔を出す。
これだけのこと
暗ーくて、重たーく
行きたくないわ…となる。
ただ、行動してしまえば
案外大したこと無かったりする。
僕と付き合うのも面倒だなー
イラっとすることもある。
1人で何かするってことがなく
「トコットばぁば、
ここに来てよー」
と手をとんとんして横に来て下さいとやる。
(ただ、実際とてもかわいい声に姿なので
そんな気持ちも薄くはなるが、)
どっちにしてもなんにしても
抜け出す事を目標にしようと思う。
過去体調をトコトン崩した時
「元気な時、色んなことやれば良かったのに」
って思ったが…
健康だから出来るってものではない
これらがあったから、出来なかったんだ
と思う。
それ以外はどちらでもいいこと
と暮らす。
そんなこんなをやっていると…
ふと、
のんびりくらしていいんだよ
って広がった。
気持ちが楽になった。るん♪
とした。
こうなったらこっちのもの感がした
朝、起きると夢ばかり見ている事が分かる。
シーンがぶっ飛んでるのも自分で考えているのかそこは不思議ではあるが
ズーッと考え事をしている感じ
親戚のおばさんが私のレコードとか本を運んできてくれたが、
「これら、もう処分してもいいかも」
この入れてきてくれたクリア衣装ケースこそ空のが山のように貯まって積まれてる
おばさん使わない?
って聞いたり
その何でもない夢の中で気持ちは動いている。
夢は私そのもの
このどんよりした世界から抜け出したい。
この我 の世界から抜け出す為に
少しでも我が現れると
そう思った事に従わないで
したくない事をする
という修行をしている。(我流)
例えば毎朝玄関の花の水面倒だし
変えなくていっか
と思ったら
変える
トイレ掃除面倒だな
と思ったら
やる
我
に従わず
やる
つくづく、この我
で思う世界に疲れきっている
だから、
こんなこと
特に生活にも私にも関係ないが…
そうしていると実際
スッキリした家にはなっている
がこんなこともどちらでも良いこと
なのだろうが
そうしていると、
禅のお坊さんとかの修行とかもそういうものなのかもしれない
と思った。
ただ我に従わず
ただ修行の世界を生きる。
プライムビデオで見ました。
震災を舞台にした映画だったが
すごく刺さった。
こんな風に震災を伝えられる映画が、あるんだと思った一方
震災は舞台であって
今の社会や人の闇の、すべての縮図を伝えている映画だった。
優しさで成り立っているはずの社会制度の脆弱さと非情さ
何が正しいのか、分からなくなってしまう社会派映画でありながら、
人の心の残虐と愛情の表裏一体
人の根底にある暖かさで
胸いっぱいになり涙してしまう
ヒューマン映画でもある。
辛くて優しくて純朴さの危うさを佐藤健や阿部寛たちが伝えてくれた。
1ヶ月に一回行っている整形外科
あの高飛車に威張っている院長が、
前回行った時いつもと同じ様に
無礼極まりない言い様は同じだが
なんだか覇気も無い陰湿さが
新たに上乗せされていた。
というか、鬱っぽい感じ?かな…
ツッケンドウではあるが、
普通に見立ては悪く無いと思っていたので
以前のダダ混みから一転
すいてラッキー!
くらいに思っていた。
だが、今回行ったら
新たに院長が変わっていた。え?![]()
そして、やさしそーな先生
実際親切…
あらー…
1年間持たなかったのね。
病院もガランドウになって
看護婦さんもどんどんやめて
スゴい変化だった
嫌な予感
多分…また混む
今日、前通ったら、
駐車場もパンパンだった。
どうなることやら、
骨密度は現状維持出来ていました。
辞めた先生が、値が下がってきているのを見て、
こんな値では
食生活とビタミンDだけではダメだ
ちゃんと治療しないとと
注射と飲み薬の選択肢を3つ提案してくれ、その中から
月1の注射を選んだので通うこととなった。
それから初めての検査
ありがとうよ。先生
本の少し、密度上がってました。
