10年以上前、日仏学院主催の野崎歓氏の講演会を聴きに行きました。

トゥーサンを読んだこともなく、野崎氏についてもあまり知らなかったけれど、在籍していた大学の教授以外の翻訳者の話を直接拝聴する機会がなく、興味を抱いたからです。

遠い昔となってしまったためか、野崎氏のお話はほとんど覚えていないのですが、ひとつだけ当時から心に引っ掛かったのが、堀江敏幸氏のこと。

「翻訳もできて小説も書けちゃうんだよね」と野崎氏が繰り返しおっしゃっていましたが、当時芥川賞作品がほとんど読めない私だったので、野崎氏がそんなに意識している堀江氏はどんな作品を書いているのだろう…と深く印象に残るに留まりました。

すぐに読んでみればよいものを、芥川賞は読めないと思い込んでいたので、つい最近まで敬遠していたのですが、翻訳者にして芥川賞作家、ましてや仏文学専攻の方とあっては読まないわけにはいかないだろうということで、エッセイを一冊読んでみました。

『回送電車』は新聞などに掲載された堀江氏のエッセイのアンソロジーです。

長らく忘れていた衝撃がありました。「芥川賞作家の作品でもエッセイだったら気軽に読めるかも」と思って読み始めたのですが(エッセイを軽んじているわけではありません。念のため。)、美しい織物を見つめているような感覚が。幸田文を読みまくっていた頃に味わった、日本語の美しさが心に刻まれていくような充実感と同時に、突きつけられる自分がいかに貧相な語彙で暮らしているかという厳しい現実叫び

パソコンに辞書を入れて使うようになってからお蔵入りしていた電子辞書を常に傍らに置いて(読書はもっぱら下の子が寝付くのを待つ布団の中なので)、わからない言葉を調べながら丹念に読みました。

何編も素敵な文章がありましたが、中でも『オレンジを踊れ』は頭の中に映像が浮かび上がり、映画のワンシーンを見ているかのように、今でもその情景が鮮やかに蘇ります。

蘆花公園のガスタンクを描いた『甲虫たちのいるところ』は、主人とつきあい始めた頃その界隈をよく散歩したので、懐かしい風景を思い出させてくれましたニコニコ
(私はあのタンクたちを内心「ナウシカのタンク」と呼んでいました。)

堀江氏のこの一冊を読み終えて感じたのは、思考の解像度は語彙であるということ。日々の暮らしを見つめる眼差しの解像度、言い換えれば生き方そのもの解像度が語彙である…そんな気さえしてくる作品でした。

学生時代、「言葉で正確に何かを表現することはできない」という結論に達し、文学部にありながら、美術論の卒論に逃げました。恥ずかしながら、はっきり逃げたという意識もありました。

言葉が万能だとは未だに思っていませんが、やっぱり言葉と向き合うしかないのだな~と今は思います。覚悟を決めさせてくれた一冊です。



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