今から30年ほど前、人生初めての異国・日本にきた。

言葉もわからなくて戸惑ったが、若さを手に乗り越えた。

 

数年後のある日、右も左も分からない23歳の子どもは赤ん坊を授かった。

小さくて壊れそうな命から宇宙をみた。

 

あれから更に25年の歳月がウソのように流れ、

子どもを大きくすると、その子のママは小さくなっていた。

私のママのように。

 

また同じくらいの時間がこぼれたのち、

知らない街の空の下をひらひら舞う蝶々になっていたり。

 

지금부터 30년쯤 전, 처음으로 이국의 땅 일본을 밟았다,

말도 제대로 몰라 허둥지둥대며 젊음을 두 손에 거머쥐고 이겨왔다,

 

수 년 지난 어느 날, 오른쪽도 왼쪽도 모르는 23살된 아이가 갓난 아기를 점지 받았다,

작아서 꺠질 것만 같은 피덩어리 속에서 우주를 보았다,

 

그로부터  25년이란 세월이 거짓부리처럼 흐르고

아이는 크고  엄마는 작아졌다,

내 엄마처럼,

 

또 같은 양의 시간이 쏟아진 후,

모르는 도시의 어느 하늘 밑을 하느적 하느적 춤추는  나비라도 되려나.. 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の中心は自分であると疑わなかった。

だから

あなたの世界の中心が私でないと知って、

私はめっちゃ腹を立てた。

 

そのせいで

激しいケンカをして

無実なあなたを傷つけ、自分の傷を深めた。

その時、世界の中心点が少し動いた。

 

あれから

時の脚が

目まぐるしく地球を何周も駆け抜けて

私は老いてあなたの影に追いついた。

 

あなたの頬に指先を伸ばしたら

地面が咳払いをして

ここが地球の真ん中よと

道しるべのようにポッと花が咲く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


焼き物といえば…ソウル近郊では利川(イチョン)が知られている。この度、利川でサランパン用に本場のものを求め、海峡を二度渡った。
(서울 근교에 있는 이천은 도자기 고향 )

思えば100年ほど前の厳しい戦局の只中、半島の焼き物が醸し出す素朴な美に虜となった一人の日本人、柳宗悦の存在を思い出す。
(100년전 식민지 시대 때 조선 도자기가 자아내는 소박한 아름다움에 사로잡힌 한 일본인,야나기 소에츠라는  학자가 있었다. )

高麗青磁、朝鮮白磁。
飾り気のない曲線の壺が身にまとった神秘的な青や清楚なまでの白。
(고려청자, 조선백자.  
꾸밈없는 곡선의 항아리들이 온몸에 두른 신비적인 청빛, 청초하기 짝이 없는 흰빛.)

日本にも韓国にも焼き物に目がない人がいる。
そしてたまにお互いが一流だとヤク人種に遭遇する。
(일본에도 한국에도 구운 것만 보면 사족을 못 쓰는 사람이 있다. 게다 가끔 자기게 일류라며 샘을 놓는 인종을 보기도 하고.)

そういう人種に警鐘を鳴らしたい。
焼き物に焼いていないで
自分の窯でじっくり自分の焼き物に専念されたら?と。
(그런 자에 경종을 울리자.
도자기에 샘 놓지 말고 
자신의 가마에서 진득하니 도자기 굽기에 전념하시라고. )

今サランパンでは
10客揃えてきた焼き物たちが
焼きたてのハングルを用意し、奔走している。
(지금 사랑방에서는 10개 세트로 가져온 컵들이 
막 구워낸 한글을 준비해 바쁘게 움직이고 있다.)

☆일본어는 「도자기 •굽다 •샘 놓다」는 단어가 모두 「굽다」라는 동사로 표현된다. 그러니까 「샘 놓다」는 「굽다」가 되고, 「샘 놓지 마라」는 「굽지 마라」가 되는데 이는 일본어이기에 가능한, 그 독특하고 유머러스한 발상을  전할 수 있는 것이다.


ある日、韓国人である知人から

韓国人なら違う行動をとるだろうと

ある日本人夫婦のエピソードをきかされた。

 

彼女の話によれば、

ご主人はお仕事のできる方で

帰宅が終電に間に合わない時など日常茶飯事で

タクシーで首都高を走って帰るそうである。

飲んでの帰りにタクシー代を持ち合わせていないご主人に代わって

玄関先でお金を用意して待つ奥さんは、

運転手に礼を欠くこと無く

恐縮と感謝を込めた挨拶をして

ご主人と引き換えにお金を渡すとか。

 

知人はこの日本人夫婦の日常のワンシーンから

お国柄の違いをくっきりと抜き取って

私の同意を求めて落ち着きたかったのかも知れない。

なるほど、私も彼女側に立ち、深く頷いたのだった。

 

理由が仕事であろうと

奥さんの存在を「忘れた」行動が積み重なることに

多くの韓国人女性にとって穏やかさを装うことは難儀ではないかと。

日本人女性だって内心は同様に腹立たしく思ったかも知れない。

が、この日本人女性が取った行動は、本心など露にせず、

慎み深く他人(運転手)にはそんな素振りを見せるどころか、

ご主人の身柄を穏便に引き取ったのだから見上げたものである。

フムフム・・家族であってもコトを荒立てない、「和」を重んじる日本である。

 

一方、韓国人女性の憤慨の中味はおおよそ以下のことが挙げられよう。

1.奥さんを蔑ろにしているように映る行動の頻発

2.奥さんの承諾なしに消えてゆく高額のタクシー代

この二点をベースにした奥さんの怒りは言動に直ちに変換され、

ご主人に向けられるに違いない。

「あなたの眼中に私は在るのか」と。

 

日本人の対人関係ではそれが身内であっても

コトを荒立てることを嫌う傾向にある。

しかし韓国の場合、自分の思いをぶつけてこそなので「対決」を厭わない。

「対決」は「対話」であるからだ。

それによって自分の「ボール」が相手に届き、

そのボールをキャッチした相手から再び投げ返されてはじめて

「今日」を繰り返されない「明日」へいけると考える。

 

では韓国人との会話を成り立たせるためにどうするか。

奥さんの存在を忘れていたどころか、かけがえのない存在であるという「心」を

しっかり「言葉」なり「もの」なりを用いて伝えること!

これぞ奥さんの燃焼したハートを冷まし、コトを丸く治めるための得策ではないかと。

くれぐれも自分の招いてしまった「災い」を

「暗黙の了解」として勝手に「後始末」に走ってはならぬ。

友人の話に耳を貸しながら

一人で静かに考えた。

 

先週の土曜、東京立川にて

韓国語で詩を朗読する機会に恵まれた。

梅雨のさ中、天候不順が続くこの頃、

当日も激しい雨脚に打たれる中、

ご来場いただいたアメニモマケズの皆さまに感動と感謝。

 

「日韓にかける虹の橋」の企画名通り、

雨のち晴れて地固まるように

日韓の空に日韓の地に住まう一人一人が

虹をかけてゆこうという願いを込めて。

 

朗読会は

茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだった時」をはじめ、、

彼女も注目していた在日の詩人崔華国の「荒川」と尹東柱の「序詩」から

韓国を代表する詩人金素月の詩5編まで。

 

雨音をBGMに耳を研ぎ澄ませ

しっとりしたイマココの一期一会を共有できたことが

一番の宝物である。

 

中には韓国語を生で聞くのは初めてという方も数人見えて

すべての音が母音で終わる日本語と違った、

たくさんの子音と連音によって成り立つ韓国語の音を

美しいと聞き取ってくださったことが

非常に嬉しかった。

 

崔華国の

サララ・サララ(살아라 살아라 :生きるのだ・生きるのだ)は

重くのしかかる生について

まるで川の水がサラサラと流れるように

大らかに

朗らかに

優しい眼差しをもって囁いているかのようだ。