現在、Gyaoでキムギドク監督の【春夏秋冬そして春】が

配信されています。


こちらからどうぞ。


キム・ギドク監督は、「韓国の北野武」と言われていますが、

私にとっては、全然違います。


以前にも書きましたが、

北野武監督の作品は、私の周りの映画好きの友人の間では、

非常に評判が芳しくありません。


私は、北野武監督が作る作品の

「意図がわかる」と話すと、それは、

認めてはくれます。

「意図のわからない」映画も、

この世の中には、多いですから。


エンターティメントと言う意味においては、

北野武の作品は優れているでしょう。

けれど、映画にエンターティメント以上のものを

求める人間にとっては、

どうしても、評価が下がってしまいます。


北野武監督がらみでいえば、

松本人志監督も話さなければならないでしょう。

同じお笑い芸人と言う立場で、

しかも、この世界では一流です。


松本人志監督の作品を観ると

私は、【Mr.Bean】を思い出します。

NHKで放送された【Mr.Bean】は、

10分前後のテレビ番組で、

非常に面白く、世界中で人気となりました。


ところが、映画化されてみると、

全然、面白くなく、

【Mr.Bean】の良さが、まったく感じられませんでした。


テレビという媒体で、

10分という短い時間で、

凝縮した形で表現された笑いこそが、

【Mr.Bean】の良さであることが、

再認識されただけでした。


松本人志監督の作品も同様です。

「テレビでは、面白いのになぁ」と言うのが、

多くの人が思うところでしょう。



話を戻します。

どうも、脱線してしまいます。


「バベルの塔」の話は、

みなさん、ご存じだと思います。

「神はこの塔を見て、言葉が同じことが原因であると考え、

人々に違う言葉を話させるようにした。

このため、彼らは混乱し、世界各地へ散っていった」


キム・ギドク監督の作品を観ていると

この話が、あまり意味のないことを思い知らされます。


彼の作品の中で、発せられる言葉は、

非常に少なく、仮に、字幕がつかなくても、

通じるものがあります。


【Mr.Bean】もほとんど言葉は、

ありません。

しかし、大胆なジェスチャーや

大げさな顔の表情や

体全体を使って、表現しているので、

私たちが、言葉の通じない国で、

話をするような形です。

これは、「バベルの塔」のなせる業です。


けれど、キム・ギドク監督の作品は、

普通の日常の行動で、

非日常を描いています。

そこには、大げさな表情も、

大胆なジェスチャーもありません。


発せられる言葉も、

とても、とても、少ないのです。

特に【うつぜみ】は、ほとんど言葉がありません。


洋服を洗い、お風呂に入り、

デジカメで写真を撮り、

ご飯を食べる。

なのに、伝わるものが、あります。


キム・ギドク監督の作品を観るたびに、

「言葉で伝えられることは、本当にわずかなのだ」と

思い知らされます。


キム・ギドク監督の作品には、

必ず、「美」と「静けさ」と「深さ」があります。

詩的なものを感じます。


それは、キム・ギドク監督の経歴をみて、

納得できました。


最初に書かせていただいたように、

もし、映画にエンターティメント以上のものを求めるのであれば、

ぜひ、この作品も含めて、

【うつぜみ】を観てください。