【ソフィーの選択】と言えば、メリル・ストリープが思い浮かぶ。
当時、ソフィーの役は、別の女優に決まっていた。
メリル・ストリープは、この役が欲しいために、
監督の所に、ポーランド女性らしい化粧、服装を身に着けて、
出向いた。
そこで、ポーランド訛りの英語を話したと言われている。
これが、いかにも、メリル・ストリープらしいと言う。
この作品は、DVD化されていず、ビデオだけが存在する。
DVD化を望むファンの声は、高いがこればかりは、
仕方がない。
映画好きの友人と話をするときに、ベスト5をあげるとしたら、この映画は必ず入る。
けれど、ネットの世界では、簡単に鑑賞することができる。
You Tubeである。
残念ながら、日本語訳は、ついていないので、
これまた、ネットから英語のせりふを拾い上げて、それを片手に鑑賞する。
それほどの価値のある映画である。
原作も日本語版であるが、持っている。
私は、若いころにこの映画を友人に連れられて観に行った。
その時も、このネイソンという精神のバランスを欠いた男性が、非常に魅力的に見えた。
それは、今、観ても変わらない。
ある種の人間にとっては、彼のように『いってしまった』人間は、
どうしようもないほど、魅力的だ。
彼が、オーケストラのレコードを聴きながら、
指揮をする姿は、いまだに、拍手を送ってしまう。
気分の抑制がきかなくって、癇癪を起して、
周りの人間を意味なく傷つけてしまうのも、
彼の弱さを物語り、泣かされながらも、離れなれない。
ここに書いたように、これはあくまで『ある種の人間』と限られる。
ソフィーはどの男性からも「美しい」と感嘆されるほどの、美女である。
そして、私の中では、彼女には、はかなさがいつもつきまとう。
そういう意味では、メリル・ストリープは、ソフィーという感じがしない。
メリル・ストリープは、不細工ではないが、わかりやすい美女でもない。
線の細さも、感じさせない。
子供を選ぶように言う軍医
強制収容所の所長
アメリカの大学の先生
ネイソン
スティンゴ
出会う男性がすべてソフィーの美しさに、目を奪われる。
画面のメリル・ストリープは、その美しさが、足りないのだ。
私は、もっと美しい女性を想像しながら、観ている。
そして、最後に彼女が選んだのは、精神を病んだネイソンである。
それは、ソフィーも精神を病んでいたから。
彼らの痛みは、それぞれ異なる。
けれど、生きていても、心に痛みを抱えている人間にとっては、
それは、死んでいるのに、等しい。
生きているふりをしているに、すぎない。
芝居がかった人生を生きるネイソンは、
そういう意味においては、非常にわかりやすい。
ホロコーストが横行するポーランドにおいて、
ソフィーにとって、子供選択の余地は、ほとんどなかった。
選ぶ、選ばないではなく、反射的なものであった。
ナチは、人の心の痛みがよく分かっている。
彼らは、どうすれば、人に大きな、取り返しのつかない傷をつけるかを十分、理解している。
「おまえは、きれいだ。ぜひ、ベッドをともにしたい。」と言って、
弱い立場にあるソフィーを、苦しめるには、子供を手段に使うのが一番である。
残酷なことをする。
ソフィーの人生。
ネイソンの人生。
どこかで、普通に生きる資格を失わされてしまった人たち。
そして、カソリックであるソフィーが自殺を選択する大きな決断。
いつも、欧米の映画を観るたびにこの宗教感の違いに戸惑う。
あるいは、ソフィーには、死さえも選択の余地がなかったのかもしれない。