主演の田中裕子と岸部一徳は、間に沢田研二という人物を挟んで、つながっている。ある意味、別の三角関係が思い浮かぶ。
年齢は、目元・口元・首元に現れる。田中裕子は、目元に出ている。若いときの彼女と50を過ぎた彼女の顔はつながっている。岸部一徳もそうである。まったく、別物ではなく、あの顔がこの顔になる、というのが理解できる。
コンビニで藤井フミヤのコンサートのポスターを見た。しばらく、動けなかった。彼の目元の老いが余りにも激しく、田中裕子とまったく同じタイプの老い方である。目が「へ」の形に垂れ下がっている。中年のそれではなく、初老の垂れ方なのである。
誰も彼もが、黒木瞳や吉永小百合のようになれるわけではない。
この物語も、しまらない冴えない容貌の二人であることが重要である。これが、『失楽園』コンビの黒木瞳と役所広司では、別の物語になってしまう。
年齢を重ねると3つの「シ」が出てくる。シミ・シワ・白髪である。それをどのように受け入れるか、精神の強さが必要になる。
髪をひっつめにし、化粧気もなく、地味な服を着て、人から見たら何がおもしろいのかという生活を送る田中裕子演ずる大場美奈子。牛乳配達とスーパーのレジで生計を立てている。
末期ガンの妻を看病しながら、毎日、市役所の福祉課で働く岸部一徳演ずる高梨槐多。
そして、二人が過ごす町は、山肌を削って住宅を建てたような小さな町。まるで、チロリン村である。
この物語の感想は、ツタヤDISCUSでも書かれているので、別の視点から考えてみたい。
私もいい年をして、独り身である。だから、彼女の生活には共感できる要素がある。一人で生きる人間にとって、一番大切なものは、と問われたら、私は『自分の世界』と答える。では、『自分の世界』とは何か。自分ひとりで完結する世界である。この映画の主人公の大場美奈子は、読書である。これも一人で完結する。
私は、何年か前、ほぼ毎日、銭湯に通っていた。大体、行く時間は同じで、出会う人も決まってくる。その中の一人が50過ぎて独身であった。彼女は、度の強い、フレームの大きなメガネをかけていた。いわゆる薄型の高価なおしゃれなメガネではなく、牛乳瓶の底の様なメガネである。髪は長く、ひっつめにしていた。化粧気もなく、洋服にはお金をかけない。
大阪の梅田のあるレストランに勤めていて、ゴムの手袋をはめて、朝から夜遅くまで、人の食べた後の皿洗いをしていた。30半ば位から現在に至るまで、同じ店でただ皿を洗い続ける。例えば、私のようにコンピュータ・エンジニアをしているような人間のように、常にスキルアップに追われることもなく、ただ、絶え間なく運ばれ続ける皿を洗うのである。単調な仕事である。
彼女の仕事の時間は、非常に不規則である。朝10時から14時まで働き、17時までの3時間の休憩がある。そして、17時から22時まで仕事に戻る。休憩の間、彼女は梅田のマチをさまよったり、喫茶店で本を読んだり、家が近いので、一度家に戻り、テレビを観たりする。
彼女の好む本は、赤川次郎である。あるいは、わかりやすい犯人の推理小説。一度、私は宮本輝を勧めてみたが、『暗い』と言ってつき返された。少なくとも、そういう意味では、私とは歩幅が合わなかった。彼女は、また、2時間のサスペンスドラマが好きで、特に、片平なぎさ、船越栄一郎主演の『小京都シリーズ』がお気に入りであった。読売テレビに電話をかけて、シリーズを続けるように要望したと私に話した。
休みの日は、競馬に出かける。賭けるお金は小さいが、毎週、欠かさず通うので、結構なお金を費やしたらしい。
私と彼女は、お風呂から上がると、家の方向が同じだったので、よく一緒に帰った。短い時間であるが、たわいない話をした。
ある日、いつものようにお風呂から上がると、お風呂屋の奥さんが別のお客さんと脱衣場で話をしていた。取立てて珍しいことではない。奥さんは、よく、お客さんと話をしていたから。私はこの奥さんが、苦手だった。一度、彼女に自分の息子の嫁にならないかと声をかけられたことがあった。私は、この人を姑として務めるのは、無理だと感じていた。
しかし、その日は、別だった。明らかに、レストランで働く彼女のことを非難していたのである。私も目が悪く、視力は0.1を切っている。そのために、気がつかなかったのだが、彼女の背中いっぱいにできものができていて、それにもかかわらず、お風呂屋にやって来ることを皮肉めいて話をしていたのだ。彼女が脱衣場にいても、奥さんはお構い無しに話を続けて、彼女を指差していた。私は非常に不愉快だった。
確かに、公衆浴場であるから、清潔に勤めなければならない。背中にニキビがちょこっとできているというレベルの話ではないことは、わかる。それであれば、直接、彼女に話せばいいのだ。
その日の帰りに、彼女は私にいきさつを伝えた。何ヶ月前から仕事のストレスで、背中に真っ赤な吹き出物が一斉にできだした。それを見た、お風呂屋さんの別のお客さんから苦情が来て、奥さんに『湯船に入らないように』と言われたそうである。『私かて、湯船に入りたいこともある。』と彼女は話した。彼女のアパートにはお風呂がなかったので、それでも我慢して、お風呂屋さんに通い続けた。
業を煮やした奥さんは、そんな風にして彼女にあてつけを始めた。
多分、どちらが悪いという問題ではないのである。
1週間くらい後で、彼女と私はまたお風呂屋さんで一緒になった。彼女は、来週からこのお風呂屋さんに来ないと言った。彼女には姉がいて、離婚していた。そのお姉さんのアパートにはお風呂があるので、事情を話したところ、お姉さんが憤慨して、『そんなとこ、行かんと、ウチのお風呂に入りにおいで。』と言ったそうである。
それから、私もお風呂屋さんの近くに変な男性が出没するので、家のお風呂を利用するようになった。私は彼女を見かけることは、なくなった。
多分、同じような生活を続けているのだろうと思う。自分の世界を持って。そして、私もそうである。