最近、いくつかの映画をDVDで観た。今頃であるが、松本人志監督の『大日本人』である。
この作品は、酷評されている。すでに映画の評論文を残す松本監督だけに、特に期待されたものであるが、実際に、幕があがると、その評価は、あまり芳しいものではなかった。
私もこれを例えばレディースディーのような1000円で観られる日に行ったとしても、非常につらい。1000円で、コンビニおにぎりや肉まんが9個買える。それを諦めてまで観る価値があるか、どうかの問題である。
確かに、ある意味、新しい試みであった。
松本監督の前に北野武監督がいわゆる芸人として、監督として成功したとされる。けれど、私の周りの映画好きな友人の間では、北野監督の評価はさほど高くない。私自身は、北野監督が映画に意図する意味がわかる、と話す。実際のところ、何を意図するかわからない映画も多いからである。
俳優としてのビートたけしの評価は、非常に高い。最初に観た映画は、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』であった。
前のブログでも述べたが、私の中で、俳優として認める基準のひとつとして、ドキュメントかドラマかわからないと言う演技が一番評価が高い。『戦場のメリークリスマス』のハラ軍曹を演じたビートたけしの演技は、まさしく、ドラマかドキュメントかわからないほどに、すばらしいものであった。
その後、在日の立てこもりの犯人役のビートたけしを観た。これも、すばらしいものであった。
それらを観た時に、「格好の悪いことが、格好がいいことである。」と感じた。
ところが、北野武監督の作品に出演する彼自身は、まことに格好がいい。『その男、凶暴につき』、『ブラザーズ』、『座頭市』。何となく、わかる気もする。しかし、残念ながら、そんなに魅力を感じない。
それと、真逆に松本監督の作品に出演する松本自身は、格好悪い。月30万円の生活費で、日本を救い、家庭的にも恵まれず、強い相手に対しては、逃げ帰ってしまう。最後は、アメリカのヒーローに助けられ、さらに、いろいろと注意を受ける。「あの時に、あうするべきだ。」と言われるのである。格好が悪い。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』の『トカゲのおっさん』シリーズは、とても好きなシリーズであった。トカゲと人間の間の子として存在している「トカゲのおっさん」は、身体的なハンディがありながら、気負いなく生きている。
彼の姿かたちを見て、人々はいろいろな反応をする。一人の人間の中の優しさとエゴを上手く描いていた。それを観て、私は松本人志と言う人の奥の深さを感じた。しかも、それを笑いにのせているのである。すごい才能である。
以前、NHKで松本人志が旅をする番組を観た。彼が旅先として選んだのは、ゴッホとアンネ・フランクのゆかりの土地であった。以外に思う人もいるかもしれないが、私は納得がいく。彼の笑いは、単純なものではない、憂いがあるのである。「おもろうて、やがて哀しき」である。
だから、もう一度、松本人志監督に映画を作る挑戦をしてほしい。格好が悪いまま終わるのではなく、「格好悪いことが、実は、格好いいのだ」と示して欲しい。