Zは、私のことを、決して、名前で呼ばなかった。
『あなた』と呼ぶ。
私のことを、『あなた』と呼ぶ人が、
もう一人、過去にいた。
彼は、中国人だった。
同じアジア人でありながら、
我々日本人は、他のアジア人とあたかも一線を画しているかのように
考える節がある。
あるドラマで、我々日本人のことを
「バナナ」と呼ぶアフリカ人がいた。
見かけは、黄色だが、皮をむくと白い実が出てくる。
結局は、自分たちを白人と同じように考えているという比喩である。
私は、「うまいこと、言うなぁ。」と感心した。
アジア人が、日本で暮らす苦しさを私は二人の人物から学んだ。
一人は、中国人男性で、
もう一人、同じマンションに住む韓国人女性である。
この二人は、祖国では、
底辺に暮らす人たちでは、ない。
上流社会に属する人たちだ。
彼らは、私に言った。
『日本人で普通に接してくれるのは、あなただけだ。』と。
私は、いつも関心を抱くのは、
その人間の持つ深さや、特異性や、あるいは、美しさであった。
人種や、背景は、関係がなかったのだ。
私の知り合いの中には、
中国映画は好き、という人も
実際は、中国人と関わりを持とうとしない。
それどころか、馬鹿にしたような発言をする。
自分と関係のない小説や映画の世界は受け入れることはできても、
直接的な人間関係は避ける。
これが、現実なのかもしれない。
それに、残念ながら、私自身も、今や中国人に対して、いい感情は持ち合わせていない。