その夜は、私は別の東京の知り合いのAと夕食をとる約束をしていた。
Aは、気楽な人だった。
Aには、別に好きな女性がいたし、私も特別な感情は、ない。
私は、Aに電話をかけた。
事情を話して、今日の夕食の約束をキャンセルすることにした。
彼は、夜遅くまで仕事しているから、その後、時間があれば、
会社に電話してくれたらいいから、と言った。


私と平田は、青山・原宿、新宿と町をさまよい歩いて、
いくつかのものを買った。
ちょっとしたことにも、
お互いに馬鹿みたいに反応して騒いだ。
Zとは、明日、関西に帰る前にランチを一緒にとろう、と決めた。
私は今度は平田に頼んだ。
『一緒にいててな。』
彼の指定する場所に行くことになるだろう。
夕方、私は、電話をかけて今回の東京での最後の会う日をZに伝えた。
そして、待ち合わせ場所と時間を確認した。


夜になって、平田と私は、あるレストランに向った。
彼女とその相手が待ち合わせしているレストランである。
私たちは、バラバラの席に座った。
私の席から、平田が見える。
15分ほどして、大きく足を引きずった彼女の相手が現れた。
彼は、幼い頃の病気のために、足を引きずって歩く。
私たちの周りには、何かが足りない人たちが集まって来ているかのようだった。
あるいは、何かが多すぎる人なのかもしれない。
その相手の精神構造に、足の病気は、まったく関係ないとは言えない。
むしろ、その障害が、彼の精神の歪みを形づくっている、
と私は平田の今までの話から判断した。
物事には、ある基準値が存在する場合がある。
けれど、精神的なものに基準値は、ない。
「常識的な範囲」というあやふやな規定があるだけだ。
だから、その誤差は、それぞれの価値観に左右される。
その相手は、確実に病んでいる、と私は考えたのだ。
もちろん、それは、私の誤差かもしれない。
私は、Zのことを「線からはずれた人」と評したが、
「歪んだ人」とは、思っていない。
むしろ、平田のこの相手こそが、「歪んだ人」である。