ゴッホの「ひまわり」の絵の前にいた。
私は、絵をみつめていた。
Zは、その私の横で、私を見ている。
『ゴッホは、好きなの?』
私は、彼に、『向こうへ、行ってください。』とは、言えなかった。
『はい。』
『どうして。』今度は、何が何でも聞きたい、と言う強い調子ではなかった。
優しく、いたわるように訊く。
『こんなに激しい黄色を使い分けできるなんて、
気がふれた人しか、描けないからです。』
私は、余計なことを、話し続けた。
『ゴッホは、宣教師をしていたことが、あったんです。
非常に仕事熱心だったんですが、評判が悪かった。
それで、苦情がたくさん来て、彼は、クビになったんです。
多分、度を越えた信者の家への訪問とか行っていたと思います。
粘着質なんです。彼の絵を観ていると、それが、わかります。
ゴッホは、これと見定めると、その一つしか、見えない。
ゴーギャンとは、根本的に違います。』
ゴッホの絵の斜め横に、ゴーギャンの絵が飾られている。
『どう、違うの?』
今度は、私は、彼の顔を見た。彼は、相変わらず、私を見続けている。
『ゴーギャンは、今で言う証券マンでした。
証券マンと言うのは、世間の動きを見て、
株の上げ下げを判断しなければならないでしょう。
要するに、まともな感覚の持ち主で、ただ、サラリーマンには、向いてなかった。
ゴーギャンの残した言葉の中で、私が好きなのは、
”親は子供のために自分を犠牲にして、
その子供は、また自分の子供ために人生を犠牲にする。
こんな馬鹿げたことが、いつまで続くんだ”と言う言葉です。
彼の性格が、現れているでしょう。
そんな人が、どだい、ゴッホのような気のふれた人間の面倒をみれる訳がないんです。』
初めて会った人に話すような内容では、なかった。
『何となく』とか『別に』と言うべきだった。
けれど、私の答えを聞いて、私から離れていく人もいる。
それとは逆に、惹かれる人もいる。
彼は、後者であった。