『昭和23年冬の暗号』
猪瀬直樹 著 2021年 中央公論新書
本書の著者でもある猪瀬直樹氏原案で映画化された『開戦前夜』については、前回の読書ノートで記した。その映画を観た帰り、何気に書店に立ち寄ったところ、原案となった『昭和16年夏の敗戦』の隣に並べられていたのが本書である。しかも、裏表紙を見ると「『昭和16年夏の敗戦』完結篇」とある。しかし、タイトルは戦後の話である。戦後に何があったのか、著者は何を追いかけていたのか、『昭和16年夏の敗戦』が全てではなかったのか、様々な疑問が浮かんできて、本書を手にした。
読了後、背筋が凍った。ここまで本を読んで、戦慄したのは初めてではないだろうか。結論、つまりタイトルの「暗号」とは何なのか。これをここに書いてしまって良いのか迷ったが、それを知ってでも、本書を手にしてくれる人がいるのではないかと思い、巻末の解説を担当している梯久美子氏の言葉をここに引用する。
「本書で猪瀬氏が指摘している、占領期における不思議な日付の符合についてである。
極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級先般28人が起訴されたのは、昭和21年4月29日。つまり昭和天皇の誕生日である。
裁判が開廷したのは5月3日。翌22年のこの日、新憲法が施行されている。
そして、東條英機らA級戦犯7人が処刑されたのは、昭和23年12月23日。そう、当時の皇太子、のちの明仁天皇の誕生日である(p268、269)」
敗戦国というのは、こういうことなのかという現実を初めて突きつけられた気がした。戦後にアメリカと結んだ最初の日米安保条約は、日本が米軍に基地を提供する一方、米国が日本を防衛する義務は明記されない不平等なものであり、「敗戦国」の象徴のような条約であったが、このことを知るとそれは大した問題ではなかったことに気付いた。日本の象徴である天皇陛下に「敗戦国」の刻印を押し、しかもその次の代の現上皇様にまでそれを背負わせる、その意味を考えると「敗戦国」、いや、「開戦国」にもなってはいけなかったのである。
そして、もう1つ考えなければならないことがある。前回の読書ノートで、日本を開戦に向かわせたのは「空気」だったと記した。そうだとしたら、責任を、いや刻印を天皇陛下だけに向けていいのだろうか。この刻印のことを国民全体が知り、天皇陛下と共にそれを背負うべきではないのだろうか。
戦後、昭和天皇が、上皇様が、そして今上天皇が第2次世界大戦で戦場となった場所を慰霊して廻っていらっしゃるが、それは純粋に平和を望むためとこれまでは思ってきた。しかし本書を読んでからは、その意味はもっと深く重いものであることに気付かされた。そのお姿は刻印を背負わされていない今上天皇にも受け継がれている。私たちは「平和」を声高に叫ぶだけではなく、陛下と共にその責任を抱えながら、平和を望んでいかなければならないとひしひしと感じるのであった。
文責 木村綾子