南極と超深海の両極地で、実際に自分の手で水中ロボットを潜らせてきた研究者による「実話」をご紹介するブログ。

 

今回は、「海の酸性化がもたらすクジラへの影響」というお話です。

 

近年、カーボンニュートラルブルーカーボンと言う言葉を耳にする機会が増えて来ましたが、まだなんとなく良く分からないですよね。

 

海洋分野では、海の二酸化炭素の吸収量は陸上の森林が約9億トンなのに比べ、2倍以上の約22億トンと言われており、この巨大なCO2貯蓄量を活用しよう!という議論(ブルーカーボン)が行われています。

 

一方で、海洋の酸性化や温暖化でサンゴが白化すると言ったニュースもときどき耳にします。(最近はこの手のニュースがめっきり減りましたが)

↑ 死滅したサンゴ礁(※海洋酸性化や温暖化とは別の要因)

 

現在の海は、概ね中性のpH 8くらい。これが海洋酸性化によりpHが低下すると、炭酸カルシウムを体の組織として持つサンゴやカイアシ類は徐々に体の組織を作れなくなると言われています。

 

そうなると、サンゴに身を寄せて棲息する小型の魚はその海域で棲めなくなり、さらにその魚を捕食する中~大型の魚も姿を消します。

こうして、海の中の食物連鎖が断たれ海底が砂漠化していくと予想されています。

 

と、ここまでは教科書にも載ってる範囲ですが、実は海洋酸性化にはもう1つの課題があります。

それは、pHの低下がもたらす水中での音波伝搬特性の変化です。

 

電波が使えない水中での通信は音波が主流です。イルカやクジラが会話する際に使うのも音波です。

しかし、電波も音波も基本的には「波」として伝搬していく特性を持っていて、距離が離れると徐々に「波」が弱くなり相手に届かなくなります。

 

波が弱くなる要因はさまざまで、水中音波の場合は周波数や水温、塩分濃度などによって伝搬の距離が変わります。

例えば、ヒゲクジラ類がエコーロケーションに用いる周波数は約5000kmも通信が出来るとされています。

 

ところが、近年の研究で水中での音波伝搬に海洋酸性化が影響するのでは?と言うことが分かってきました。

 

水中音波の伝搬は水温や塩分濃度の他にpHの影響を受けます。

つまり、海洋が酸性化してpH値が変わると従来と違う特性になり、これまで聞こえていた場所に居ても、相手の声が聞こえくなるという可能性が見えてきました。

 

じゃあ、なぜ?pHが低下すると相手の声が聞こえなくなるのか?

本来、pHが低下すると海中の音波は、伝搬しやすくなります。つまり、相手の声が通りやすくなるのです。

 

しかし、海洋物流や洋上プラントが増えることで海のノイズ(雑音)が増えることになります。そうなると、雑音の中で特定の声を聴き分ける必要が出て来ます。

 

分かり易く言うと、人混みの中で名前を呼ばれても気付かないのと似た現象です。

 

↑ 海中ノイズの概略図

(出典:毎日新聞 2020年6月10日付け)

 

じゃあ、どれくらい聞こえにくくなるか?と、言うと、筆者が2100年までに起こる海洋酸性化のpH変化を元に試算した結果では、現在よりも約1.3倍うるさくなるという結果が見えてきました。

たった80年後には、海の中が今よりも1.3倍以上もうるさくなる?という計算結果です。

 

でも、うるさくなったなら大声を出せば良い。人間ならそう考えることが出来ます。

しかし、ヒゲクジラ類は何万年も掛けて数千km離れた相手と会話する方法を身に付けたと考えられます。たった80年で新たな騒音環境に適応できるようになるのでしょうか?

 

ひょっとすると、クジラ同士の声が届かずオスとメスが出会えなくなり、子孫が残せない個体も出てくるかもしれません。

将来、クジラが棲みやすい環境を保つためにも、海の中を知る研究を続ける必要があります。

↑ ヒゲクジラ類はアラスカ沖からハワイ沖まで通信してると言われている