月が赤い。
 

 星のない暗い夜空に、雲を微かに纏った真っ赤な月が俺を見下ろしている。

 

 圧倒的な力を見せつけられ、満身創痍の身で地面に倒れ伏し、混濁する記憶。

 

 周囲には同じように倒れている戦士たちの幻影が見えている、ような気がする。

 

 急速に体温が下がり、流した血の量は致命的なのだ、と感じている。

 

 ああ、俺はもうここで尽きるのか。

 

 志半ばで、果ててしまうのか。

 

 そう思いながらも、疑問が浮かぶ。


 (何故)


 (俺はまだ、奴と戦ってはいない、筈)
 

 自分のものではない記憶が、自分の感覚のように感じられる。

 

 視界は薄れ、意識も遠くなり、闇が訪れようとした、その時。


 「!」
 

 突然、無理矢理何かに引っ張られるように覚醒した。


 「まだ眠るには早過ぎますよ」
 

 そこにいたのは。


 「今の幻は、あなたが見せたのですか、月の精霊」
 

 頭上の禍々しい月とは裏腹に、白銀に光る女神のような女が立っている。否、宙に浮いている。


「いいえ。それはあなたが想像した過去の念。真実を、あなたはまだ見ていないでしょう?」


 確かに。
 

 世界中が恐れる大魔王を討伐せんと、数多の英雄たちがこの地を訪れ、やがて敗北して散っていったと、真しやかに流れる噂だけを頼りに、俺もまた冒険者の端くれとして魔王が棲むという城にやってきた。

 

 今にも朽ちそうな古城は暗く禍々しく、俺は極度の緊張とここまでの旅路の疲労も相まって、様子を伺う間に眠ってしまったらしい。


 「旅の疲れは取れましたか?」


 「……そういえば、随分体が軽いです。これはあなたのお陰ですね?」
 

 そう言うと、月の精霊は静かに微笑んだ。


「さあ、お行きなさい。そしてあなたの目で、真実を、真の魔王の姿を確かめなさい」
 

 勿体ぶった表現をするものだ、と俺は訝しく思う。 


「あなたは、俺が魔王に勝てると思いますか?」 


 すると彼女は、笑い声こそ立てなかったが、大きく破顔したように見えた。 


「それはあなた次第ですし、勝つことがすべてでもありませんね」
 

 何を言っているのだろう。勝たなければ、こちらの命がないのだ。それとも、人間でない存在にはわからないのかもしれない。 


「世の中は、白と黒だけではありません。そして、噂とは大体事実とは違うものです」
 

 何故月の精霊が、ここまでお膳立てしてくれるのかわからないが、魔王とは、もしかしてそれほど強いわけではないのだろうか。

 

 俺は漲る力を自信に変えて、古城の門を潜る。 


 真っ赤な月が、俺を見下ろしている。





    fin