祈りは遠く、どこまでも届く。
森の奥深く、一人の修行僧が瞑想している。
世俗の煩わしさに疲れ、心を病み、解脱を求めて出家した。
かつて悟りを開いた偉大な僧のように、己の苦しみが、苦しみを経て得た真理が、いつか救いになることを信じて。
誰もいない、静かな森。
木々の葉擦れの音、川のせせらぎ、鳥たちのさえずり。小さな生き物の気配。
時折吹くやわらかな風にも、心は癒されている。
ここには誰もいない。
自分を傷つける人間も、馬鹿にする人間も、批判する人間も。
とても静かで、平穏な日々。
けれど、言いようのない寂寥感が充満している。
誰にも逢わなければ、どこまでも心穏やかに過ごせる筈なのに。
そのために、富も、家も、家族も、何一ついらないのだと、思ったのに。
欲望を捨て去った先にこそ、求めるものがあるのだと、信じて疑わなかったのに。
ここは、とても寂しい。
ひとりは、とても寂しい。
風が大きく吹いて、森中の木々に跳ね返る。跳ね返った音が大きく響き、また戻ってくる。
エコー。
こだまのように響いて胸を震わせる。
僧は、突然ハッとして立ち上がった。
自分が積んだ善根功徳を他者にも振り向けることを、回向、という。
違う国の違う言葉が、似たような音と意味を持っているのは不思議なのか、或いは何の不思議もないのか。
生きとし生けるものは皆、繋がっているのだから。
僧は、森を出るべく歩き出した。
悟りを得るという大義名分で、ただ逃げてきただけだったのだと気づいた。
それが悪いわけではない、とも思う。
それぞれに、必要な経験というものは存在するのだろう。
かつて悟りを開いた偉大な僧も、やがて真理を世界に回向して、きっと多くの人が救われたのだろう。
ただ、そこにいて、祈るだけでも出来るのかもしれない。
けれど、今自分に必要なのは、この孤独から抜け出すことだ。
自分の周りの小さな世界でも構わないのだ。顔を見て、触れ合って、心を寄せて、思いやる。
自分を傷つけて、馬鹿にして、批判してきたのは、きっと誰よりも自分自身なのだ。
森を抜けると、鮮やかな世界がそこにはあった。
やさしい祈りは遠く、きっとどこまでも届く。
fin