記憶とはいったい何だろう。過去を頭の中に記録しておいたものというような簡単な答えではなさそうだ。記憶とは人との関係をつなぎ留めておく鎖のようなものかもしれない。この話を読んでいるうちに、そう思えてきた。少なくともここに登場する人たちは記憶を頼りに人との関係を自分のものにしよう、強固なものにしようと頑張っている。記憶をメモに頼っている博士も例外ではなかった。その鎖を断ち切られてしまっている博士はどんな思いで生きていたのだろう。

博士は記憶を保っておくことができない。サラサラと砂のように抜け落ちていく記憶は、博士にとって恐怖そのものだった。毎朝自分の書いたメモによって自分の記憶が失われていることに気づかされ、泣くことで一日が始まった。記憶がなくなったことは自分の身に何が起こっているのかわからないことを意味しており、博士は恐怖に怯えるしかなかったはずだ。そんな博士の唯一の救いは、美しい数学の世界に没頭することができたことかもしれない。整然と並んだ数字の世界は美しいが、神秘に包まれており、その神秘のベールの向こう側を覗き見ることは簡単ではなかった。それでも、博士にはその一端を垣間見ることを許されていた。博士はその美しさに見とれて過ごし、恐怖を紛らすことができた。ただ、博士にとってみれば、その数字もまた、人との関係を表現するための手段だったような気がする。博士の数字はすべて人と結びついていたはずだ。

博士は人との関わりを断たれたまま長年過ごしてきたが、そんな時、目の前に現れたルートは救い主にも匹敵する存在だったのだろう。彼は博士の数少ない理解者なのだ。明日にはすっかり忘れてしまっているとしても、博士は毎回会うたびに、ルートを自分自身の理解者だと察知した。理解者を前にして、ルートと一緒に過ごすひと時を、懸命に過ごそうと努力しているように見えた。

ルートは間違いなく、博士の気持ちを敏感に感じ取っていた。「だって寂しそうなんだもん」という言葉がそれを如実に表している。ルートが博士の気持ちをすべて理解していたといっても言い過ぎではなさそうなくらいだ。博士の頭に詰まっているものは無機質な数字ではない。神秘的で魅惑的な数字の世界で、友達と一緒に懸命に生きようしているだけなのだ。ルートはそのことを本能的に理解した。しかし博士はその考えをうまく実現できていない。その結果、寂しそうに感じた。ルートはそれを一言に集約して発したのだろうと思う。

博士にとって、数字はバラバラに存在しても意味をなさない。同じように、人間の関係もまた、一人一人がバラバラに勝手気ままに生きていて成立するものではない。人は関わりながら生きている。その関係は数学の世界そのものだと考えていたのではないだろうか。博士は数学を通して人との関わりを研究していたのかもしれない。少なくとも、博士とルートとその母は数学の美しさを通して、密接に関わり合っていたのだ。

博士の愛した数式とは、ピタゴラスの定理ではない。フェルマーの大定理でもオイラーの公式でもない。素数の個数を表現したゼータ関数でもないはずだ。人を愛することと数字とが結びついた美しい世界を表す数式ではなかったのだろうか。博士だけが知っている公式、いや、ルートもルートの母も、義姉も皆、気が付いているはずだ。みんな知らないふりをしているだけで、分かっているような気がする。オイラーの公式を見せられて、みんなの態度が一変したのは、博士の言いたいことに気づいたからだろう。みんなが極座標の複素平面上で、半円を描いて、0に収束していく図を思い浮かべたとは思えないが、おそらく感覚的に理解したはずだ。博士が書いたオイラーの公式は、円状に配置されたみんなが、一か所に集まっていくことを意味するものだったのではないだろうか。

記憶があいまいでも、記憶がなくても構わない。たとえ人との関わりをつなぐ鎖が切れていたとしても、人との関わりを断って生きることは出来ないのだ。自分がどんな状態であったとしても、今を懸命に生きて、人と正しく関わること、この単純なことがなかなかできずにもがき苦しんでいるのはわたしたちかもしれない。博士がそのことをわたしたちに教えてくれている。