有り余るほど金を持っていても、立派な屋敷に住んでいても、部下がたくさんいても、名誉が与えられても心の平安が得られるわけではありません。地上にいる間に名声を与えられ、富を積み上げても、心が満たされるわけではないのです。心の中に陰を持った状態で神さまの前に立ち、いくら弁明してもすべてをご存じの神さまの前では虚しさしか残りません。その時間は生きている時よりも長いのです。神さまのもとに召される日がくるまで、個の利益を求めるのではなく、ただ神さまの存在を信じてみ旨を行うことを心掛けるべきなのです。この話の中で、金持ちはみ旨を行う機会がたくさんありながらもできなかったのですが、ラザロは穏やかに神さまに召される時を待ったという、ただそれだけのことがわたしたちの成すべきことだということなのだと思うのです。

 

人間としてやるべきことをやったのか、というところが大切なのでしょう。わたしたちは苦しんでいる人に手を差し伸べるのは当然のことだということを忘れています。苦しんでいるふりをしている人もたくさんいますから、それを見極めることが大切なのでしょうが、コミュニケーションを取って目の前にいる人の苦しみを理解できたのなら、その苦しみに対して手を差し伸べる方法を考える必要がありそうです。その結果自分が苦しみを引き受けることになると、割に合わないと考え、躊躇してしまいます。他人の苦しみを理解するために多くの時間を割かねばならないことも避けたいと考えています。

神さまが人間を創り出した理由があります。神さまと人間の関係をもう一度考えるとともに、神さまが愛された人間同士の関わり方ももう一度考える必要があるはずです。それができるかできないかで大きな違いができるのではないでしょうか。