金持ちが一体何をしたというのでしょう。出来物だらけになって人前で働くことができなくなった雇人を解雇したということであれば、資本主義社会では咎められるようなことではないような気がします。ラザロを目の前から排除せず、門前にいることを赦したのなら、むしろ寛大な対応といえるかもしれません。

 

でも、金持ちはラザロを知っています。しかも、死んだラザロが家族のもとに現れれば、皆が怯えると知っています。少なくともラザロに対して家族全員が引け目を持っているのです。

 

二人の間に何があったのかはわかりませんが、ラザロが小さいころから金持ちの門前で暮らしていたわけではないはずなので、ごく最近、ここで横たわって過ごすようになったのでしょう。とすれば、ラザロは病気になり、全身出来物だらけになり、動けなくなって、門前に放り出されたという考えが思い至ります。

 

病気になった従者を切り捨てるように放り出したのだとすれば、金持ちはよくないことをしたように思えてきます。現代の資本主義的な考え方をすれば、働けなくなった者が職場から出ていくのは当たり前ということになるかもしれませんが、人間的には蟠りが残ります。

 

金持ちの心には傷が残っているようです。彼は悪いことをしたという自覚をもって生きていたのです。社会の制度の中でルールに違反したというような罪ではなく、人間として差し伸べるべき手を差し伸べなかったということに対する後ろめたさということなのでしょう。