使者は「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と伝え、治してほしいとか、来てほしいとかは言いません。マルタとマリアからどのように頼まれたか分かりませんが、「どうして欲しい」という願いが含まれていません。少なくとも使者はもう望みはないと思っていたのでしょう。弔いに来てほしいと伝えたかったのでしょうか。マルタとマリアを慰めて欲しいと伝えたかったのでしょうか。はっきり伝えないのはどうしてなのでしょう。
一方、マルタとマリアはどう思っていたのでしょう。
ラザロの病気を治してほしいとは思っていたでしょうが、治るとは思っていなかったかもしれません。もしかすると、それ以上の望みがあったのではないでしょうか。
使者の話を聞いた時ラザロは死んでいました。イエスさまは遠くにいてもそのことを知っています。マリアとマルタの悲痛な声も聞こえていたかもしれません。マルタとマリアが使者を遣わす時点で、二人は「もうだめだ」と覚悟を決めていたような気もします。
それなら、マルタとマリアは何を望んでいたのでしょう。ラザロがもうすぐ死ぬことを覚悟していて治ることを望んでいなかったとしたら、他の望みがあったはずです。それはいったいなんだったのでしょう。きっとイエスさまに来て欲しかったのではないでしょうか。イエスさまは二人の心の支えでもあったはずです。心の支えとして、いつもそばにいて欲しかったのではないでしょうか。
でもその願いすら伝えようとはしませんでした。イエスさまが「わたしはいつも一緒にいるわけではない(ヨハネ12:8)」と言われる言葉をマルタとマリアはすでに理解していたのかもしれません。