困ったときは、聖書を開いて、イエス・キリストの言葉に耳を傾けてみることにしましょう。
イエスさまは、「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。」(マタイ5:46-47)
と言われます。
イエスさまは、天の国の価値観で解説されるので、その価値観を理解していないわたしたちにはなかなかわかりません。
しかし、天の国の価値観はイエスさまの言葉の中にあるのです。
つまり、イエスさまが何度も私たちを諭すのは、将来天の国に入るであろう私たちに天の国の価値観を理解させようとしておられるのでしょう。
生きている地上の世界で起こっていることは天の国に入る準備なのです。
いろんな人がいるのですから、誰とでも仲よくできる人でないと、天の国にいることが幸いに結びつきません。
むしろ苦痛になってしまうかもしれません。
また、「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。 だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。」(マタイ5:22-25) イエスさまはそう教えてくださっています。
嫌な人にこそ、仲良くできる人こそが天の国にふさわしいということになりそうです。
親しい人には親密さを保ち、親しくない人であっても正しく接し、嫌いな人とは和解をする必要があります。
人との付き合い方が正しい生き方につながっているということなのかもしれません。正しく生きることができる人でないと、神さまと共にいることは苦しいことになってしまうのでしょう。
神さまに対して正しいことをしていると胸を張って言える状態でないと神さまの前にいることはできません。
天はあらゆる人と仲よく、平和に暮らす場所だとしたら、今のような生き方でそのまま天に行って暮らせるのでしょうか。
今地上で暮らしている私たちは、日頃どのようにしたら良いのでしょう。
今から準備を初めておくことはないでしょうか。
今のうちにやっておかなければならないことはないのでしょうか。
次回は、もう少し視点を変えて考えてみることにしましょう。