所長と同行しての得意先回りを終え、佐々木孝枝は現場から直帰した。
最寄駅で車から降ろしてもらい、電車に乗った。
これ以上、煙草の煙が充満した車に乗っているのがイヤだった。
駅のホームで風に当たり、やっと清清しい気分になれた。
しかし、退社時間帯の電車はすし詰めの満員だった。
車輌に乗り込むと、ほとんど身動きの取れない状況だった。
中途半端な満員だと、痴漢に遭うこともあったが、
ここまで満員だと、痴漢も動くスペースがないのか、
今日は無事に下車駅まで行けそうだと思った。
いつもの駅で列車を降り、改札を抜けようとした瞬間に思い出した。
「あ…、今日は送ってもらうんだった…」
得意先回りに出る直前、舞と話したばかりだったのに…忘れるとは…。
今日の約束は忘れるワケにはいかない。
一条圭一郎もそうだが、今日の相手も、搾り取るには絶好のカモだった。
出たばかりの改札に逆戻り。
逆向きの電車に乗り、勤務先近くの駅を目指した。
待ち合わせは駅前だったので、車中からメールで連絡した。
『いま終わった。あと20分ぐらいで駅に行けると思う』
程なく返信。
『了解!』
素っ気ないメールだ。
この男、本名は神田というのだが、孝枝には『山田』と名乗っていた。
大手スーパーチェーンLEONの店長だが、
孝枝には物流会社の平取締役だと言った。
孝枝は以前、この男を尾行して、身分と名前だけは確認した。
神田が、パート従業員と関係を持っていることも知っていた。
ホームに降りた瞬間、駅舎の入口辺りに、神田の姿を見つけた。
孝枝が歩いて来るものと思い込み、こちらに背を向けている。
孝枝はそっと神田の背後に回り、ポンッと肩を叩いた。
驚いた様子もなく振り返る神田。
「おお、先に着いてたの?」
「ええ。ちょっと売店で飲み物を買ってきたの」
と、缶コーヒーを手渡す。
「気が利くね。丁度ノド乾いてたんだ」
無糖のコーヒーをノドを鳴らして一気に飲み干した。
「車でしょ?どこに停めたの?」
「ああ、送迎用駐車場。30分までなら無料だからね」
孝枝の背中に手を回し、そちらへ誘う。
車に乗ったとたん、神田の手は、遠慮なしに孝枝の太股を撫で回した。
神田の好きなようにさせながら、孝枝はチャンスを待っていたように問いかけた。
「今日はパートさんとのデートはないの?」
一瞬、手を止め、アクセルから足も離して孝枝の方を向く。
「危ないからちゃんと前を向いて聞いてね」
意地悪そうな笑いを浮かべて孝枝は続ける。
「ごめんなさい。ちょっと見かけたんで、ついて行っちゃった。
名前も知っちゃったから、もう山田なんて呼びませんよ」
「そうか…。別に偽名使わなくてもいいんだけどな。
つい、口から出たのが山田だったんだ。
勤務先も調べはついてるってワケか…」
「ええ、そういうことです。
別にいいんだけど…ちょっと悔しいかな…」
「それはすまなかった。お詫びさせてもらうよ。
どうすればいい?」
「じゃあ、う~んと美味しいもの奢ってネ」
「う~ん…何にしようか?」
「モスバーガー」
「え???」
「安上がりでいいでしょ?
モスのサラダって美味しいのよね」
「ホントにそれでいいの?
ちゃんとしたレストランにでも行こうか?」
「いいの。そんなのに大金使うのもったいないでしょ?
別に私だけが女じゃないでしょうから…」
「こりゃ相当怒ってるな…。
一体どうすりゃいいんだい?」
「ん~っと…。そういう時はやっぱり…ね?」
「そうか…そうだよな。じゃあ、ちょっと静かなところへでも行こうか…」
そう言うと、神田は以前、東原香織と行ったホテルへと車を向かわせた。