勤務先の小児科医院は駅ビルの中にあった。
薫はこの医院で受付としてもう5年働いていた。
勤め始めたのは離婚して、当面の生活に困ったから。
慰謝料は求めなかった。
家裁での調停も面倒だったし、
顔を見るのもイヤなほど嫌いになった相手の金で生活するのも嫌だった。
医院からの給料とは別に、まとまった収入もあった。
結婚後数年から始めた株がマグレ当たりした。
会社の名前が気に入ったという理由で買った株が大化けしたのをキッカケに、
次々と買う株が全て順調に値上がりした。
そこそこの金が貯まると、薫はあっさり株から手を引いた。
証券会社の担当者が「なぜ?」といぶかる程の身の引き方だった。
最も大量に持っている製薬会社の株だけを残し、全て売り払った。
製薬会社からは毎年、100万近い配当がある。
小児科医院のわずかな収入だけで生活しながら、実は大金を持っている。
そんな余裕が薫を大胆な遊びに走らせた。
女性週刊誌で偶然目にした「出会い系サイト」。
遊び心で登録したところ、ここにも副収入のチャンスが。
金額はそれ程でもなかったが、小遣い稼ぎにはなった。
「ポイントゲッター」と呼ぶらしい。
薫のように、男性会員にメールを出させ、その料金の一部を掠め取る女たちのことを。
しかし、薫は他のポイントゲッターと違い、実際に会員男性と会っていた。
昨日会った丈二もその1人だ。
昨夜の余韻に浸っていると、院長から声がかかった。
「薫くん、今日の予約患者は何人?」
「は、はい。えーと、8人ですね、今のところ」
「そうか、みんな午前中?」
「ええ、最後が10時半です」
「よし、予約はそこまでにしといてくれ」
「え?そのあとは?」
「うん、ちょっと出かける用ができたんだ」
季節の変わり目で、風邪で訪れる患者も増え始めていた時季だけに、急に『休診』にするのは気がかりだったが、医師がいなければ病院を開けていても仕方がない。
ホワイトボードに『本日の診察は午前のみです』と赤のマーカーで書き、自動ドアの外に掲げた。
院内に戻ろうとした時、通路を走って来た男とぶつかりそうになった。
手に持っていたマーカーを落とし、拾い上げようと伸ばした手が重なった。
顔を見合わせてまた驚く。
「丈二さん!」
「え?あっ」
男は次のセリフが出て来ないようで、口を開けたまま薫を見つめていた。
会話もせず、慌てて院内に戻った薫は、動悸が激しくなるのを感じながら、入口を窺った。
丈二は横目で院内を見ながら、ゆっくりと通り過ぎて行った。
午前中で切り上げとなった勤務を終え、駅ビルを出た薫の前に、丈二が立っていた。