昨日の夜、中野でMさんと夜ご飯を食べた。そこで真理についての話をしたのだが、僕はその話をしながら孤独を感じた。

Mさんは創価学会員であり日蓮を「日蓮大聖人」と呼び崇拝している。Mさんは「日蓮大聖人の説いた哲学こそが全てを説明するものであり、南妙法蓮華経こそが真理そのものなのだ。だから実践して唱えないと真理は分からない。だから君には真理は分からないよ」ということを語った。

たしかに僕も、真理とは目に見えず、話して伝えることもできず、体感することでしか分からないということは分かっている。

しかしその方法が南妙法蓮華経しかないというのは僕は違うと思う。真理に辿り着く最高の方法が南妙法蓮華経であるというのも違うと思う。

なぜなら真理は無知にこそ宿り、無欲にこそ宿るものであるから、何が最高の方法だとか、そういうことは問題ではないのだ。

僕にはMさんが妄信しているように思えた。そしてそれが宗教組織に属することだということを理解した。

Mさんと議論しても、行き着くところは結局、南妙法蓮華経なのです。南妙法蓮華経はたしかに、真理に到達する方法であり、真理そのものかもしれないが、それは数ある方法の中の一つでしかない。

Mさんとは、真理に到達する別の方法について議論をすることができず、僕は真理を探究しているのが自分だけな気がして孤独を感じてしまったのだ。