巡礼
今回のテーマは「巡礼」です。
巡礼に歩く人々の心を覗くことはできません。
31日イラクの首都・バグダッドで巡礼者が将棋倒しになり、現在判明しているだけでも700人の死亡者。
今後1000人に達する見通しとされています。
「群衆の中に自爆テロ犯がいる」といううわさがパニックを引き起こしたことが原因だそうです。
フセイン政権が崩壊(2003年)してから、一つの事件で発生した犠牲者数としては最悪。
なるほど、直接手をくだしたのはスンニ派ではないかもしれない。
けれどイラクで起きているシーア派を狙う宗教行事のテロ攻撃は頻発しているわけです。
犯人は見えざるけれど、脅威の程がこれで浮き彫りになったのではないでしょうか?
巡礼に来た人たちをターゲットにする。
それだけ考えると、過激派には何の信仰があるのか、と思える。
異教徒ならばまだよし、同教徒を狙うなど・・・。
実はこれほどに国民達もテロに脅かされている。
誰がはじめた戦争で、油を注いだのは誰なのか。
そのために散った命と屍は近隣の砂漠に幾つ埋もれているのでしょうか。
笑いかける死神を目の当たりにした人間は、それを救いの神と見紛うのかもしれません。
魂が切り裂かれる時、その悲鳴は乾燥しただけの吹き上げる風の音と舞い上がる砂に封印されてしまう。
彼らの無念と、古の魂と捨てられた神々を想い起こしながらささげる祈り。
その悲痛は僕には理解できません。
祈りの殆どが決して幸せのそれではない、という話を聞いたことがあります。
それがこの日、10万人いました。
昨日死んだ彼らは殉教者なのでしょうか?
脅威に朽ちただけなのに。
何のために祈りに来たんでしょうか?
この国の人々は目が悲しい人が多いように感じます。
日本にも巡礼はありますが、それよりもはるか長い時間と距離に足を引きずった時代もあったようです。
ここまでしても、誰も見たことがない神様。
本当にいるんでしょうかね。
昔、知り合いのお姉さんが、失踪後、とあるホテルで自殺しました。クリスチャンでした。
遺書で最後の言葉は
「神様はいなかった。」
でした・・・。
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