こんなこと書いていいのかなー。まぁ、いいや書いちゃえ。
葛飾区。僕の住んでいる市川市からさほど遠くもなく、特別降りる用もないが身近な地域である。
じつはこの葛飾区、東京都の中で小中学生の学力が一番低いことで知られている。
つまりヤンキーが多いのである。
そして多くの学校で学級崩壊ならぬ学校崩壊が起きているらしい。
学区域の指定が撤廃された今、葛飾区の住人でも他区の学校に通うことができるようになった。
つまり、葛飾区の学校が、アフォな子ども達の吹き溜まりになろうとしているのである。(言いすぎ)
このように学区域の撤廃は学校間での競争をもたらし、学力差を生じさせる引き金となっている。
そしてなにより問題なのは、
学校が選ばれて行く場所ではなく、選んでいく場所になったことで
ひっくり返すと
選べる人と選べない人との格差を助長することになったのである。
平たく言うと、
選べる金持ちの子どもはいい学校へ
選べない貧乏の子どもは身近なヤンキー学校へ
という縮図がうまれているのである。
もっともこれは現場の教育の力を無視している話ではあるが、
実際に学校崩壊がおきているところに教育に関心をもつ親が子どもを預けたいと思うだろうか?
どうなるでしょうか。葛飾区は。
しかし、博物館や美術館に行く度に思うのだけれど、日本のそれらはとても貧しくてがっかりする。
国立科学博物館のことに限って言うと、臨時展はそれなりの形で魅せるのだけれど、常設展はとても貧相だ。博物学の歴史がないといえばそれまでだけれど、民度の指標ともなるべき施設がこれでは寂しい。
自然史 natural historyや行動生物学 ethologyが発達した18c-19cの英国。植民地を蹂躙して集めたその標本は世界に比類ないコレクションになっている。
その歴史と思想が21cになって環境という分野で再びスポットライトを浴びている。
そのコレクションが、環境がとのように変化しているかを横断的縦断的に調べることに貢献しているらしい。
博物館の充実は民度の問題だけでなく、環境問題に深く関与しているのだ。
英国自然史博物館 natural history museum
上野の国立科学博物館に行ってパール展を見てきました。
真珠は今は養殖が可能になったため、貴重なものではなくなったのでは・・・と思ってましたが、
それでも養殖真珠で商品価値があるものは15%くらいだそうですね。
一粒ほしいにゃー。
劇団四季のオペラ座の怪人を見てきました。
父の誕生日に姉が家族を招待してくれました。
オペラ座の怪人、劇団四季で始めてて見ましたが
事前に話を聞いていたせいか、台詞(歌詞)が日本語なのは意外と違和感がありませんでした。
(クライマックスソング point of no return以外 。日本語歌詞の「もうー戻れなーい♪」は笑ってしまった)
さて総括して評価
1 ○怪人(歌うまい!)
2 ○カルロッテ(いやらしい、きつい歌い方がうまい)
3 ×クリスティーヌ(色気なさすぎ・・・)
4 ×ラウル(台詞が声投げすぎで引いた・・・)
5 ×メグ(声量がなさ過ぎ・・・)
6 ◎マスカレードのコーラス(第2幕の最初のコーラス)
7 ×劇場「劇団四季 ・海 電通劇場」(フロントが狭い。高級感がない。休憩時間のアイスクリームが売ってない)
8 ×劇場の案内人(その制服はデ○ニーランドですか?)
怪人歌うまかったですね。演技もよかったと思います。そしてカルロッテ。ドキツイ役をうまくこなしていました。
そしてダメだし。まず、クリスティーヌ・ダーエ。色気がなさすぎです。貧相な体つきは、確かにバレエダンサーという設定を反映しているかもしれないけど、僕の中のダーエはあくまでサラ・ブライトマン 。あの豊潤な肉体と広い音域の声を生かした深い歌い方こそクリスティーヌと言えるでしょう。そういう意味では本人じゃないのだから、しょうがないのかもしれないけれど。
しかし、なんと言ってもひどいはメグですね。第1幕のラストシーン、支配人やラウルとのカルテットの時も明らかにカルロッテに消されています。もう少し、声量を増やして欲しいものです。
あと、ユーモラスな演技は日本人は苦手なのかな、と思いました。英語だと「笑うべき」箇所、大げさに演技する箇所も日本語だとジョークの価値観が違うのか、演技が弱い気がしました。
劇場は少し狭い・・・気がします。まぁ、狭さは問題ではなく、一番のそれは「高級感の欠如」です。僕の中ではミュージカルは高級な娯楽のイメージがあって(チケットもそれなりするし)、劇場に足を運ぶたびに「luxury」な感覚を覚えたものでした。しかし、海・電通劇場は、郊外にあるシネコンとさほど変わらないような気がしました。
それと関連していうなら、従業員の制服も少しおかしい。海だから青い制服なのかも知れないけれど、どこかの遊園地のスターツアーズのおねーちゃん見たいな格好はいかがなものかと。ピシっとパンツとシャツで決めて欲しいものです。
でも観客は満員でした。やっぱり映画の効果とかは大きいかな。
でもDVDの方がこれならいいんでないかい?と思ってしまう。観客の目も肥えてきてるのを意識して欲しい。
ロイドウエバーが見たらなんて言うかなー。
ブログのタイトルを変更します。
理由はブログのネタがな・・・くなったわけではなく、
UNDER PRESSURE の語感がネガティブなもので、ブログの内容と食い違ってきたからです。
Pressureは社会的な圧力や強制力、抑圧を意味し、
このかつてのタイトルは、Queenの曲目からとりました。
社会的な抑圧を跳ね返す反骨心のような気概を持って・・・と思っていましたが、
マイルドな記事もいいかなと最近は思っています。
そこで、E.M.Fosterの小説から新しいタイトルをもらいました。
ブログという部屋とそこから見えるVeiw(眺め、観点、視点)を綴っていけたらいいなと思っています。
皆様これからもよろしく!
ゆ
久しぶりにマジメなこと書きます。
先週の金曜日、夜更けにTVをつけた。
R30
という、(頭の弱そうな)ジャーニズの某アイドル達が司会をやっているトーク番組を見ていた。
そこで、番組の脈略になんの関係なく、急に着床前診断の話が取り上げられた。
着床前診断とは妊娠する以前に体外受精した受精卵を選別して体内に戻し、妊娠させる技術である。
効用としては、妊娠率の上昇、流産率の減少、遺伝子疾患の診断などが挙げられる。
つまり、着床前診断を行うと、安全に、障害をもつ子どもを産むことを防げるわけである。
(いいことづくめですねー。)
しかし、はっきりいって、僕はこの着床前診断には「反対」である。
この技術の背景には、障害者に対する差別や疎みの気持ちが隠されている。
生まれきた子どもは、障害を持たないから、生まれてきたことになる。
障害をもっていたら、親から必要とされない子どもなのである。
元気な子どもが生まれて欲しい気持ちは誰でも当たり前である。
しかし、着床前診断をした親はこどもに、「障害がないあなたが欲しかったの」というのだろうか。
そう言われた子どもがどんな影響を受けるかは想像に難くない。
そして話は戻るが、R30では着床前診断を日本で行った医師を紹介していた。
許せないのは、その医師を「信念と勇気をもった」と形容しこの医師を支持する構成となっていたことだ。
彼は「着床前診断を批判するのであれば、出生前診断(羊水や臍帯を検査する)をまず批判すべきだ」
という理論を展開し、正当化しようとしていた。これは明らかに自分の批判を別の批判にすりかえようとしている意図が含まれている。
ルールを捻じ曲げることが、信念と勇気なのだろうか。
医師の意見はともかくとして、番組側が伝えたかったことは一体なんだったのだろうか。
少なくとも公共の電波を使っているのである。メディアはプロパガンダを形成することを自覚し、全ての発言において責任を持たなくてはならない。
こういった偏った情報をトーク番組とは言え、垂れ流すことを許してはいけないと思う。










