先日、専門学校のOB会役員ということもあり
卒業制作展にいき、
後輩の作品を見た。
ひとり、うちの工房にくる事になり
彼のお父さんと、学校の先生とで4名で
呑む機会があった。
とても良い機会だったし、
同時に、自分が本来なら親世代であって
こうした若い人に、何かを託したり、教えたりする
そうした年代に自分もなった事に気ずく。
話は変わるが、春になると
いつも思う事がある。
事故で、2名、病気で1名
ぼくは友人を亡くしています。
生きていたら、あんな相談やこんな事を話しただろうにと
思う事は多い。
なんだか、桜を見るとき、同時にそんな思いになる事がおおいのだ。
そんななのだろうから、震災で一気に、親しい人を亡くされた方々を思うと
どれほど辛いのだろうかと気づく。
話をもどすが、ポストモダンを突き詰めて今、
いろいろな分野で、ノスタルジーがくるように思う。
グローバリズムでさえ衰退しかねない今
インディビジュアリストとスタンドアローンコンプレックスの
権化のような現代社会にあって
震災は、再びいろいろと思い起こさせる物があるように思うとき
やはり、今なりの、求められているものがある。
そんな気がするのだ。
今更ながら
自分を知ってしまう情けなさと
また、それでも、明日がきてやる事があり、
また、頼られる事があり、失敗して謝罪することあり
また、悪口も言われるが、
これまた、自分の足りなさですね、
亡き友人を思い出しながら
思う事は波のように打ち寄せます。
