素直な優しさを言葉にする事はファンタジーになってしまったのかね ?

前向きにさせるような応援歌なんて子供騙しだとか思ってきたけど、優しさを信じない大人になっちゃってたんだなぁ…なんて事、思った。

嗚呼でも、優しさを信じない輩の優しい言葉には気をつけなくちゃいけない。あれはとっても、ひとを傷つけるから。
不思議なことに、信じちゃいけない事ばかり、本当だと思ってしまうんだ。軽々しく優しくされたいからなんだろう。
優しさだけじゃ人は愛せないから慰めてあげられない。そういう事。
洗濯物を干してたら、風で竿(鉄パイプ)が落ちてきて顔面直撃。また顔に傷が増える予感。でも顔に怪我すると倍額もらえる保険に入っている。
世界が厳しいって事から逃げるつもりはないけど、光のように優しい気持ちや歌につつんでもらえてる時はとても幸せ。
信じ切る事がいつの間にか怖くなってしまったのは、悲しむべき事。

自分の感覚を信じきって、誰かの嘘やキレイゴトが見抜けなくて、ザックリやられて、誰も恨めなくて、誰も信じられなくなっていても、いつも誰かが助けにきてくれる。
今度こそもう駄目だって思って、膝抱えてる事に安心してたのに、やっぱりどうしても、私はひとが好き。

新しい感覚はいつも、ひとが、くれる。忘れていた事はいつも、ひとが思い出させてくれる。
ただいま、私。はじめまして、私。毎朝。
ありがとう、君や、君や、君。毎晩。

あーでもやっぱ、信じ切るのはまだ怖い。もう少し膝を抱えていよう。自分のせいで、誰かを加害者に仕立て上げるのは怖い。

私がいるかぎり、世界は私の主観で出来ている。そこから誰かを見ることは、とても我儘なこと。同じ世界に住んでくれていると信じられるひとは、今は一人しかいない。

でも私の世界に投げ込まれる優しさは、大切にしまって、きれいに並べて眺めて、私は幸せな気持ちになっています。
誰かを疑ってるんじゃなく、自分を疑ってるだけだって、言い訳をさせて下さい。



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