曲聴けます。


 -Memento-Mori-


詞・曲:桜井和寿



ため息色した 通い慣れた道

人混みの中へ 吸い込まれてく

消えてった小さな夢をなんとなくね 数えて


同年代の友人達が家族を築いてく

人生観は様々 そう誰もが知ってる

悲しみをまた優しさに変えながら 生きてく



けないように れないように

ってになろう 

ふと自分迷うときは を集めて に放つよ



恋愛観や感情論で 愛は語れない

この想いが消えぬように そっと祈るだけ

甘えぬように 寄り添うように 孤独を分け合うように



等身大自分だって きっと愛せるから

最大限夢描くよ たとえ無謀だと他人が笑ってもいいや


やがてすべてが散り行く運命であっても

わかってるんだよ 多少リスクを背負っても

にしたい 愛 愛



けないように れないように 

ってになろう

ふと自分迷うときは を集めてに放つよ


の中に永遠なるかそう







メメント・モリ  ・FRAGILE



メメント・モリとは、「死を忘れるな」「死を想え」という意味のラテン語。


人は死と隣り合わせの存在。死が前提の存在。死ぬ確率が100%の存在。


それでも普段「死」を忘れて生きている。人は嫌なこと、怖いこと、不安なことを忘れたい。

それらを遠ざけて見えないようにしたい。


とはいえ、人はいやらしいとこがあり、見たくないといって視界を手のひらで覆い隠しながらも、わずかな指の隙間から覗き見ようとする。

たとえば、ドラマチックな死を扱った映画。大切な人が死ぬ泣ける映画がヒットする。

俗にいうところの死のオチ映画だ。


日常の中に潜んでいる死は、もっと静かだと思う。

ドラマチックなんかじゃないことのほうが普通だ。

だから怖いんじゃないだろうか?


ドラマチックにしたてないと、受け入れられないんじゃないだろうか?


そんなことを考えてしまうほどに、現代の社会は自然にあるものを遠ざけることで成り立っている。



現実感とは、繰り返しが起こす現象のように思う。

つまり、自然に起こることから人が遠ざかるような生活を送っていれば、自然に起きることに対しての現実感は起きにくい。


誰かのつくったドラマチックな世界にしか現実感を感じないのだとすれば、それはやはりおかしい。

だけど、それをおかしいといっていても何も始まらない。


メメント・モリ…死を忘れるな…


僕なりに今の社会を鑑みて言い替えるならば、



見えるモノばかりに振り回されるな。見えにくいモノ、見えないモノを忘れるな。


そんなところだろうか。









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