「夜空ノムコウ」 作詞:スガシカオ 作曲:川村結花
あれから僕たちは 何かを信じてこれたかな
夜空の向こうには 明日がもう待っている
誰かの声に気づき 僕らは身をひそめた
公園のフェンス越しに 夜の風が吹いた
君が何か伝えようと にぎり返したその手は
僕の心のやらかい場所を 今でもまだ締め付ける
あれから僕たちは 何かを信じてこれたかなぁ
マドをそっと開けてみる 冬の風の匂いがした
悲しみっていつかは 消えてしまうものなのかなぁ
タメ息は少しだけ 白く残ってすぐ消えた
歩き出すことさえも いちいち ためらうくせに
つまらない常識など つぶせると思ってた
君に話した言葉は どれだけ残っているの?
僕の心のいちばん奥で から回りし続ける
あの頃の未来に 僕らは立っているのかなぁ
すべてが思うほど うまくはいかないみたいだ
このまま どこまでも 日々は続いていくのかなぁ
雲のない星空が マドの向こうに続いている
あれから僕たちは 何かを信じてこれたかな
夜空の向こうには もう明日が待っている
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「それでも、夜空の向こうにはもう明日が待っている」
人を信じることだけじゃなく、自分を信じるとか、何かを信じられる人って、幸せだと思う。
信じるものがあれば、人は前を向ける。
だけど、自分がしっかりしてないと、盲目的になってしまうし、狭い世界に閉じたり、排他的になってしまう危険性がある。
どこかで疑う気持ちがないと、人は考えることをしなくなる。
疑り深い僕は、出会ってしばらくは相手を見ていて、はじめから信じるってことがない。信じることがコワイというのもある。
ある目的を達成するために、相手に任せるとか見守るということはあるけど、自分で考えずに相手に委ねるということはない。
演じることについては、いま書いている「紀子の食卓」に譲るけど、少し触れれば、人は嘘をつかなきゃ生きていけないくらい弱いから演じるともいえるし、人とつながりたい、わかり合いたいから演じるともいえる。
自分だけの世界を誰かが理解するなんてありえない。というか自分だけの世界なんて人は関心がない。
自分の世界をわかってくれってことよりも、人と人がつながる社会や、人と人がわかり合うことを考えればいいんじゃないか。
SMAPが歌った「世界に一つだけの花」は、ひとりひとりが違う、かけがえのない存在だと歌う。
その通りで、ひとりひとりの世界はかけがえのないものだ。ひとつとして同じものはない。
だからといって、ひとりひとり違う世界をすべて社会に実現できるわけがないし、そんな傲慢さを人が許すわけもない。
自分の幸せが、誰かの幸せにはならない。
幸せの数も人の数だけある。
だから、自分だけの世界なんてたいしたことはない。自分ひとりができることなんてたかがしれてる。
人とつながるには演じることが必要だ。言葉が必要なのと同じだ。
演じていない、ありのままの自分なんて誰からも理解されない。理解されないから必要ないというわけじゃない。
それは自分が大切に持っていればいい。
深い関係になれば、素顔を見せる。誰にも言えなかったことを受け入れてくれたりする。
でもそれは、相手が理解できることだけを理解したにすぎない。
本当にお互いが自分を吐きだしたなら、その時に知る。
人は人を理解はできないということを…
人と人は違うということをはっきりと知る。
それでも人は信じようとする。誰かを…何かを…
すべてを受け入れられたいと願う。
期待してしまう。期待が裏切られたという不信を生むとしても。
人はさみしさを何かで埋めようとする。
さみしさは人に求める限り、埋まらない。
どうしたらいい?ひとりでどうしたらいい?
ひとりじゃない。
この世界はみんなひとりだから。
みんなひとりだということは、みんな同じだ。
家族がいても、友だちがいても、恋人がいても同じだ。
それなら、少しでも社会でつながることを考えて生きたい。
そのことを、話し合って生きたい。
少しでも相手を理解できる自分になりたい。
違うということから始まる歩みは、明日が見えない。不安で孤独だ。
それでも、夜空の向こうにはもう明日が待っている…