「糸」 作詞・作曲:中島みゆき
なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす糸は いつか誰かを
暖めうるかもしれない
なぜ 生きてゆくのかを
迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡の ささくれ
こんな糸が なんになるの
心許なくて ふるえてた風の中
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと、呼びます
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「仕合わせ」の一部である「幸せ」
「しあわせ」と漢字で書くとき「幸せ」を使いますが、もともと日本人は「仕合わせ」のほうを使っていました。
「しあわせ」という言葉の本来の意味は、運命のめぐり合せです。
良いことも悪いことも、すべてを含んだ人間の意図を越えた結果(めぐり合せ)のことを、「しあわせ」といい「仕合わせ」という漢字をあてていました。
その「仕合わせ」の一部である、良いこと(幸運・幸福・ハッピー)だけをあらわしたのが「幸せ」です。
いつしか人間は傲慢になり、すべてのことをコントロールできると思うようになっていきました。
幸せばかりを追い求めるようになり、少しでも不幸があると人を憎んだり、世の中を恨んだりしがちです。
人が生きていれば良いことも悪いこともあります。
そのすべてに何らかの意味がある。
やることをやったら、その結果を、運命を、思い通りにいかなくても受け入れる。
「あきらめる」とは決して悪い意味ばかりではないのです。
自分を知ることでもあるのです。
自分を知るからこそ、相手に優しくなれるのかもしれません。
日本人は厳しい自然の中で生きることで、人間も自然の一部に過ぎないということをわかっていたんだと思います。
だから、日本人は自分が生きた結果である、すべてのめぐり合せを「仕合わせ」といい、受け入れようとしていたんだと思います。
「幸せ」ばかり追い求めることは、「仕合わせ」ではないのです。
「仕合わせ」の一部を見ていることでしかないのです。自分の一部を見ていることに過ぎないのです。
いつまでも、自分だけの幸せを追い求める、思い通りにしようとする傲慢さは、人生の一面だけで生きることと同じことなのかもしれません。自分や相手の一面だけを見て、知った顔をすることと同じかもしれません。
人は誰もがしあわせになりたいと願います。
その本来の意味は、「自分の人生を懸命に生き、良いこと悪いことといった、すべてのめぐり合せ(結果)を受け入れていく」ということなのかもしれません…。
そして、そのことが本当に相手を思いやる気持ちにもつながっていく…。
喜びと出会い、悲しみと出会い、仕合せになる…
自分の糸と、出会ったすべての人の糸で編まれた布が、「仕合わせ」であり、誰かの涙を拭うものになるかもしれない、ふるえる誰かを暖めるものになるかもしれない。
そういう想いが、「仕合わせ」という言葉にはあるんだと僕は思うのです。
右側のiPodで「糸」聴けます。
一曲目は、桜井和寿、小林武史を中心とするバンド・。
ニ曲目は、中島みゆき。
