今回紹介するのは『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』です。
これもだいぶ前に見たのですが、いい作品なので紹介します。
【スタッフ&キャスト】
監督:デヴィッド・フィンチャー 『セブン』『ファイト・クラブ』
脚本:エリック・ロス 『フォレスト・ガンプ/一期一会』
原作:F・スコット・フィッツジェラルド
出演::ブラッド・ピット/ケイト・ブランシェット/ティルダ・スウィントン/ジェイソン・フレミングetc
【ストーリー】
1918年のニューオーリンズ。
ある男の子がこの世に生まれた。母の死と引き換えに…。
その子は、生まれながらに80歳の老人のように衰えた身体だった。
その容姿の醜さと不気味さをおそれた父親は我が子を老人ホームの階段に置き去りにする。
すぐにその老人ホームを運営している黒人女性クイニー(タラジ・P・ヘンソン)に拾われ、子どもがいなかったこともあり、神の授け者として、愛情を受けて育てられる。
そして名前を付けてもらった。
…ベンジャミン・バトン(後のブラッド・ピット)。
外見は老人、中身は子どものベンジャミン。
ベンジャミンの外見は老人ホームに暮らす他の老人達となんら変わりないが、中身である精神年齢は子どもそのもの。
人生の物語を話して聞かせてくれた周りの老人たちは、当然のことながら順番にこの世を去っていく。
そんな中でベンジャミンは、はじめは車いす生活だったが、年齢を重ねるごとに皺が減り、髪も増え、足腰の自由もきくようになり、だんだんと若返っていく。
そんなある日、ベンジャミンは施設利用者の孫娘デイジー(エル・ファニング、後にケイト・ブランシェット)との運命的な出会いをする…。
日に日に若返っていくベンジャミン。
肉体的にはまだ年寄りだが、知的好奇心から施設を出て、外の世界へと旅に出るベンジャミン。
様々な人との出会い、愛する喜びと悲しみ、別れ、さまざまな出来事、感情を経験していく。
再会するベンジャミンとデイジー。
お互い惹かれあいながらも、異なる時の流れを生きるふたりは、友人以上には、なかなか発展しない。
歳月が流れ、ようやく、ふたりの時の流れが交わりはじめる。
外見的な年齢と内面的な年齢が近付き、ふたりは精神的にも肉体的にもつながりあうようになり、愛しあう。
ふたりは愛し合い子どももできる。
ふたりは気付いていた。
この幸せは長くは続かないことを…
時は無情に流れ、老いて行くデイジーとは対照的に若返っていくベンジャミン。
愛する人に、子どもになっていく自分の姿は見せられない。
そう決意し、ベンジャミンはデイジーと子どもの前から姿を消す…。
月日が流れ、子どもになったベンジャミンのもとに年老いたデイジーが訪れ、再会するが…
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この物語のテーマは、時の流れ。
時とは、過去から未来へと流れているのだろうか?未来から過去へと流れているのだろうか?
過去や現在の因果で未来は決まるというなら前者。
過去や現在は、未来の行為で変わるというなら後者。
どちらにしても時の流れはいずれ止まる。
死は必ず訪れて、僕らの時を止める。
死でなくても、悲劇的な出来事によって、心の時が止まることもある。
それは、過去に縛られることを意味する。
自分なりの答えを出すことが出来ず、過去の自分、現在の自分を責め続け、未来の自分も後悔に染めてゆく。
後悔の日々は、時を逆行させる。
過去の日というビデオテープを何度も何度も巻き戻しては、何度も何度も再生するように。
『ベンジャミン・バトン』の冒頭に出てくるエピソードでいえば、戦争で息子を失った時計職人が、過去への後悔から、針が逆行する時計をつくりあげる。
もし戦争へ旅立つ息子を引き止める事が出来たら、時間さえ戻れば戦争で死んでいった者たちの命を救う事が出来るかもしれないのに…。
後悔の繰り返しが人生にはつきもので、そこから解き放たれることは難しい。
しかし、後戻りできないのが現実で、誰も過去をやり直すことはできない。
たとえ老人から子どもへと逆行する人生だとしても…。
人は過去を現在を正当化する生き物で、意味づけしないと区切りをつけられない。
つまり、未来の行為は過去・現在の意味を変化させるということでもある。
だからこそ人は物語を必要とする。
そうして、自分の納得できる物語を構築する営みが人生ともいえる。
日本人は「仕方がない」という言葉を多く使ってきた。
「仕方がない」から何もしないのではなくて、出来ることはする。それでもダメなときは「仕方がない」。
自然災害が多く近い存在だった日本は、自然は人を超える存在ということを身体で知っていた。
身近に言えば、人を好きなることを想像してみる。
好きになってから、相手のここが好き、あそこが好きと言っている自分がいる。何か言葉にすると嘘くさい。
でも、言葉にすることで相手に伝え、自分を納得させる。
感情は理性を超える。世の摂理は人知を超える。
『ベンジャミン・バトン』は、80歳の肉体で生まれた赤ん坊が時を逆行し、若返っていく数奇な人生を描く。
幼児から老人という時の流れが世の摂理。
時を逆行して若返っていくベンジャミンの身体的な変遷は、逆説として機能して、僕たちが年を重ね老いていき、死を迎えるという摂理を相対化させて、生と死の間に存在する人間にとってほんとうに大切なものは何かを浮かび上がらせる。
人は生まれようと思って生まれるわけではない。
自分の意志とは関係なく生まれる。
生まれ育つ環境も選べない。どんな運命のもとに生まれるか選べない。
その運命を恨むこともできる。その運命から逃げることもできる。
そうした、人が選択できないそうした自然的なものを受け入れるのは容易ではない。
現代のように自分のからだも変えられるようになり、子どもも人工的に創れるようになり、自然環境というものも人工物にとってかわり、老いることの恐怖から整形やアンチエージングが流行る中で、真の自然というものが見えにくくなると、何でも思う通りに出来るのではないかという傲慢さも出てきて、ますます世の摂理と向き合うことから逃げてしまいがちだ。
ベンジャミンは80歳の容姿で生まれたことで気味悪がられ、親に捨てられる。
運よく拾われた老人ホームで愛情を受け育てられ、人生の悲喜劇を味わってきた老人たちの中で生と死を見つめ、外の世界でもいろいろな人との出会い別れの中で、人生を学び、自分の運命を受け入れて行く。
「仕方がない」これが僕の人生だ。
過去を現在を受け入れること、どんなに孤独で数奇な人生でもそれを肯定し懸命に生きる姿は、未来が過去・現在を変えていくことが出来るということを見せてくれる。
それは、運命という逃れられない自然的なものを人間は抱えると同時に、未来を生きていく人間は与えられた運命の意味を生き方によって変えられるということだ。
そしてそこには、大切な人が存在することが、愛が必要不可欠だということをデイジーをはじめ、ベンジャミンを愛し支えた人たちが物語る。
人が求めるものは愛。数奇な人生だからこそ、誰よりも切実にそのことを感じることができたのだろう。
『ベンジャミン・バトン』は、時の流れという摂理を、時を逆行する男の生涯を描くことで相対化させ、ほんとうに大切なことは何かを教えてくれた。








