「夏が終わる前に、自分をみつめ、デビュー10周年に向けて。」 | アンダーグラフ OFFICIAL BLOG「Member's Diary」Powered by アメブロ

アンダーグラフ OFFICIAL BLOG「Member's Diary」Powered by アメブロ

アンダーグラフ OFFICIAL BLOG「Member's Diary」Powered by アメブロ

メロディを作って、アレンジをメンバーと行い、歌詞を書いて、ツイッターでつぶやき、レコーディングをし、


打ち合わせをし、リハをし、機材の準備をし、LIVEをし、キャンペーンを周り、打ち上げをし、曲を書く。



何を書いているかといえば、それは、忙しく過ぎていく毎日の中で、このブログをあまり書いていないことへの言い訳である。


最近は、長い文章を書くことが、少なく、気が付けば、かなりの時間が過ぎていっていたので、これはいかんと、久々に書こうかな、と思い立った。


アルバムを発売し、ツアーが終わり、アンダーグラフは、ご存じ絶賛レコーディング中である。


その合間を縫って、僕は、芝居を観たり、LIVEを観たりしている。


年々、感性というものは、鈍くなってくると、よく先輩のミュージシャンに言われていたが、そう感じる理由が、最近はわかってきた気がする。


それは、色んな経験を積むと、人っていうのは、その経験を積み上げ、自分を確立するのだろうが、


日常の当たり前の喜びは当たり前のものとなり、悲しい出来事を解決した解決法は強く心に残っていく。


悲しい出来事というのは、例えば嫌悪感だったり、劣等感も含まれる。


それを解決できるように、自分なりの思考回路を組み立て、、ストレスを和らげる。


そうでもしないと、毎回深く悲しんだり、当たり前の事に喜びすぎていては、生きていく事は、大変だし、日々の重ね方に意味をなさなくなる。


普通はそれでいいし、そうあるべきだが、少なからずモノづくりに携わる人間は、その思考回路と戦わなければいけない時があると僕は感じる。


一つの楽しい出来事を色んな角度からとらえ、色んな喜びを感じ、一つの悲しい出来事も同様、いろんな角度からとらえ、様々な悲しみを感じる必要がある。


その感情一つ一つを、言葉にし、曲となる。


そんな戦いをやめた時、感性は鈍ったと感じるのだろうと思う。




アフリカ、マラウイの病院を訪れた時、現地のゴスペルシンガーが「ツバサ」を覚えて一緒に歌ってくれた時、


頭の中をよぎったのは、「ツバサ」を作った共同生活をしていた4畳半の部屋で、アコースティックギターをあぐらをかきながら抱える自分と、小さなテーブルに置いたノートと鉛筆の景色だった。


全くの「0」から「1」になった瞬間があり、そしてマラウイの病院から、自分の声以外でその言葉とメロディが流れている感覚は、不思議としか言いようがなかった。


曲を作るという行為は、僕の中ではそこまで難しい行為ではないし、歌詞だって同じだ。


もっといえば、長年曲を作り続けることも、そこまで大変だとは思わないが、


アンダーグラフとして、アンダーグラフ真戸原直人として、曲を作り続け、歌い続けることは、少し大変なことかもしれない、と実感する。


常に新しい感性や、感覚を取り入れ続ける事がない限り、歌にして歌いたい事はもう過去の楽曲の中で、歌いました。となれば、そこで終わりを迎えるものだと思っている。


しかし、幸せなことに、僕は飽き性な部分もあり、自分の考えが固まり始めると、この考え方をするのにも飽きてきたな、と感じることがあり、また違った考え方を探し始める癖がある。


癖というか、曲を作り続ける限り、必然的にあえてそういった思考回路をしているような気もする。


だから「あの時そう言ってましたよね?」「そうだっけな。」となる。必然的にそうなる。


この間、中原にも「まさかこんな曲を書いてくるとは思わなかった」と言われたが、おそらく、「このタイプの曲はあんまり好きじゃない」と偉そうに昔言ったのだと思う。


近くにいる人達は面倒臭いな、と感じることもあるだろう。


今日もとても喜ばしいことと、悲しい出来事が同時に起きた一日だった。


そんな人間の作った音楽を、より大きな感情にする為にアンダーグラフとしてアレンジをし、LIVEで表現をし、それを少なからず楽しみに待っていてくれる人がいるという事は本当に幸せなことです。


来年デビュー10周年を迎えるのだが、なるべく感謝を伝える10周年にしたいと思っている。


その最初の試みとして、みんなと一緒に作品をつくろうと、着なくなった衣類を集めてアーティスト写真に使わせてもらう。


みんながいて僕らがいる。それをまずは伝えたい。





真戸原直人