動物農場 (角川文庫)/ジョージ・オーウェル
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最近、たくさん本読んだんですけど、一番暗い本を紹介しています。別に他意はありません。


1984のジョージ・オーウェルの作品です。内容は1984ほど暗くないけど、共産主義のウソと欺瞞を読者に刷り込むというやな感じの作品でございます。


これと1984を読むと、本当に共産主義の人民統制のやり方が刷り込まれるようにわかります。


人間の記憶システムの脆弱性に付け込んだ嘘情報(主に歴史情報と社会情勢情報)の刷り込みによる社会統制のやり方は、かなりの説得力をもっています。ふらふらになるまで労働させられて、あのような記憶の不確かな部分を綿密についてくるやり方は有効なのだろうなぁと感嘆します。


共産主義というものは、人を統制するやり方をここまで考えていたのか、という感激に浸りたい方は是非どうぞ。1984よりは読みやすいです(短いし)。

「前提条件が変わったのだ。我々、現代人は成人後も生存競争を行う。何故ならば、子供の間に死ぬという条件が変わったからだ。」


ネタを考えるのが面倒くさいので、Twitterで書いたちょっとした文章をぱくってきました、というサボり。


何で老人が尊敬されないのかという考察についての一回答です。昔は人々にとっての前提条件は、たくさんの人間が成人になるまでに死ぬ、成人になってからも特に理由もわからないままにコロッと死ぬ(勿論、風邪とか、怪我とか、ちょっとしたことで)でした。


昔は老人になるまで生きることが、ある種の尊敬の対象でした。長生き出来るために、人並み外れた社会的な実力なり、個人的な体力なり、何かぬきんでたものが必要だったのです(勿論、運もそのうちに入る)。


しかし、科学、医学の発展から、まず寿命が尽きるまで死なないという条件に変わりました。ここで起きたパラダイムシフトは、「別に何の努力もなしに、実力もなしに、技術もなしに、人間は寿命まで生きることが出来る」と誰もが思うようになったことです。


長生きが特別なことで無くなったときに、”老人になること”は一層に陳腐なことと化し、むしろ詰らないことになったわけです。


だから、老人は”無条件では尊敬されない世の中”になったわけですね。


というわけで、老境を迎える前に、ちゃんと”尊敬される資格”を手に入れて、敬老される人になりましょう(敬老されたい人はね)。

今使っている携帯も、はや2年半を過ぎたこともあり、そろそろ代えようかと物色してました。


ビッグカメラで色々とソフトバンクの最新機種をいじっていたわけですが、ん~、どうもいかん。どれも感触が宜しくないです。ガラパゴスやIPhone系のタッチパネル式はどうも操作性が悪い。まず、両手を使わないといけないというフォーマットがいかん。また、今までよりも入力速度が遅くなる。


確かに斬新だし、面白いのですけど、日常的に使うにはちょっと人間工学的なデザインが悪い。もう少し複数の指を迅速に使えるだけのインターフェースが用意できるのであれば違うのでしょうけどね。


それはそれでおいといて、アンドロイド携帯が本当に雨後竹の子のように湧いてきています。すわ、これからアンドロイドを勉強しないと、と思っているお方。それは勇み足です。


うちの業界の話ですけど、どうもアンドロイドはかなり楽に作りこめるようなプラットホームらしく、アンドロンド技術者の単価が物凄く安いのです。まあ、アンドロイド自体が無償提供なので、そら技術者を量産するのもコストがかからないだろうし、そら安く作れるでしょうという、安さの連想にしかならないので・・・。





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ようやく読み終わりました。うん、面白い。


村上春樹さんの作品にしては、何だかダイレクトに分かりやすい気がしていましたけど、かなり初期の作品だったのですね。最初だから、分かりやすいというのも短絡的で申し訳ない。


壁やシステムは、「社会」の象徴であり、それに翻弄されたり、心を奪われたりと「個人」の弱さと、「社会システム」の惨さをうたったものでしょう(多分)。


村上作品に共通の淡々とした感情の起伏の乏しい感覚、運命に翻弄されるがままでも、不必要なじたばたさが無い感覚は健在で、その嘘っぽく無さがやんわりとした癒しに似た読後感を齎してくれます。


何だかちょっとハードじゃないけど、格好がいいなぁって感じの作品でした。


次は「キャッチャーインザライ(村上春樹訳)」ですが、いつ読み終わることやら・・・。


東京は3周年を迎え、4年目に突入しました。


何が変わったでしょう。何も変わっていない。そんなことはありません。いくついくつも変わりました。


無欲ではありません。成長することには貪欲です。無意味に貪欲です。


背中で語れるくらいになっているでしょうか。自分では見ることは出来ません。振り返る気にもなれません。


どこまで、どこへ、どれくらい向かっているのか。そういうことは鬼っ子なので、そっとしておきましょう。


寝た子は起こさないのがルールです。定義です。マナーであり、エチケットでもあります。


とりあえずはしゃいでいくことにします。今後は、なおいっそう。