自虐史観 という言葉があります。
これを不服に思う面々が、「新しい歴史教科書をつくる会」などを作って、歴史修正主義など持ち出して、あれこれ騒いで売名に使うのです。
歴史にはいろいろな真実があります。
真実は一つではありません。
人の数だけあります。
でも、それでは歴史にはならないので、最大公約数的なものをいくつかピックアップしてその複合した結果を歴史の真実として提供するようにするのです。今の教科書が偏っていると感じるのであれば、何かを削除することで修正するのではなく、何をその上に追加することでバランスをとっていけばいいのです。シンプルに自分に近い真実のみを結晶化しなくてもいいのです。
真実が一つしかないという妄想に縋りつくことは意味がないです。
ひとつしかないという妄想に縋りついている人は、実は縋りついているのではありません。そして、それ以外の縋りついていない人間は、そこに興味はありません。そこに強く働きかける人間には、そこに働きかけるだけの理由がないといけません。つまり、そうすることでそこから利益を得ているのです。
本を書くため?名前を売るため?自説を評価してもらうため?組織を維持するため?
歴史を修正するための動機なんて、実はそんなもんです。